次の日も、僕はいつもより一本遅い――つまりあの声と出会った――電車に乗った。

 今日も、あの声を聞きたい。なんなら、その声の主がどんな子なのか知りたい、と思っていた。

 たった一度耳にしたあの声は、なぜだか僕の心にすんなりと入ってきて溶け込んでいくようだった。

 誰かの心の声を不快に思わないどころか、こんなにも望むなんて初めてのことで自分でも驚いていた。

 そして、僕の期待通り、その声は現れる。電車のドアが閉まり、ゆっくりと発信しだしてしばらくして、その声は僕の頭に響いてきた。

(聞こえますかー? 私の声が聞こえていたら返事をしてくださーい)

 また呼びかけてる。
 僕はちょっと笑いそうになった。

 昨日の切ないような呼びかけではなく、今日は軽い感じなことにすこし胸をなでおろす。

(って、聞こえてたらそれはそれで問題よね……。さ、今日もつづきつづきっと)

 そして彼女は、また言葉をつむぎだす。
 つづき、というそれは物語のようだった。

(少女は、一冊の本に手を伸ばした。それは、分厚く表紙には豪華な箔押しの施された装丁の本。タイトルは英語で少女にはわからない。それでも、少女はなにかに操られるかのようにその本を開いた。――その瞬間、……)

 と、そこで言葉が途絶える。
 その瞬間、どうなるんだ?
 気になって仕方がなくて、車内を一周視線を回すもやはりそれらしい人は見つからない。スマホを持っている女子高生なんて山ほどいるし……。特定するのは難しそうだ。

(――やっぱり……、本のタイトルと小説のタイトルを同じにする? 安直すぎ?)

 やっぱり、小説なんだ。
 物語を自分で考えるなんて、すごい。

 小説を作るなんて考えたこともなかった僕からすれば未知の世界だ。
 彼女はぽつりぽつりとつづきを声にしていく。
 僕は、声の主を突きとめることよりも、彼女の声だけに集中していた。
 物語のつづきが気になって、ぐんぐん惹きつけられていく。

 それから毎朝、彼女の物語を聞くのが僕の楽しみになった。

 ストーリーはこんな感じだった。

 ――体が不自由で車いすでの生活を余儀なくされていた主人公は、図書館で一冊の本を手にする。彼女がその本を開くと本の中に入り込んでしまった。

 本の中で主人公になった彼女は自分の足で歩くことができ、その素晴らしさに感激する。
 現実世界と本の中を自由に行き来していくうちに、物語の中で過ごす時間が楽しくて次第に帰りたくないと思い始める。

 そして長い時間を物語の中で過ごしていた彼女は、いつしか現実世界のことを忘れて物語の中だけで生きるようになるのだが、なにか大切なものを忘れてしまったような虚無感を覚えはじめる。

 そして、そこで出会った本の中の少年と一緒に必死に自分の記憶を探し始めていく、というものだ。

 朝の電車の時間だけでは物語はとぎれとぎれで、途中から話についていけなくなったのだけど、ある日彼女の物語のタイトルを知った僕は、ダメもとでググってみたんだ。
 そうしたら、「ノベマ!」という小説投稿サイトに投稿されていることが判明した。
 ユーザーネームは「海」さん。プロフィール欄には、高校生だということと、最近書き始めたばかりだということが短い文で書かれていた。

 作品は僕がいつも電車の中で聞いている『私たちのユートピア』という青春小説一つだけ。

 僕はその日のうちにノベマ!の会員登録を済ませて「道」というユーザーネームで彼女の小説の読者となった。





(試し読みは以上となります。続きは書籍版でお楽しみいただければ幸いです……!)