右上にミネラルウォーターが数本入っていた。一本そこから抜いてみると、やはり俺の好きなメーカーのものではない。この家の人間が俺の好みを把握しているわけがないから当然なのだけど。
「ごめんなさいね、結生さんの好きなお水切らしちゃってて。緑茶のストックはありますけど、出しましょうか?」
……ああ、この人を除いて。
「いや、平気」
正確には幸枝さんはうちの人間ではないけれど、まあ似たような存在ではある。
いわゆる、お手伝いさんだ。
俺が生まれたときには、もう既にこの家で働いていた。住み込みなことも相まって、俺にとっては家族も同然だった。母が死んでからは、彼女のおかげでうちが崩壊せず成り立っているのだと、俺はひそかに思っている。
こう見えて春永家は、由緒ある華道の家柄で。
現当主は俺の父、春永由一。二十八代目。そして二十九代目、次期当主となるのは次男の千代春だ。俺の十も上である長男は、すでに起業家として成功していること、華道に関しては次男の方に才があったことから、数年前正式に跡継ぎが決まった。
ちなみにこの跡継ぎ問題に、末っ子である俺はそもそも参戦すらしていない。
俺は幼い頃から華道を好まなかった。作法こそ教えこまれていても、まともに稽古すらしたことがない。花を生けるよりも、絵を描きたかったから。
それでも、お家元の息子という枷は厄介で。
才色兼備な兄ふたりと比べられて、でき損ないの烙印を押される。春永の息子なのに、と白い目を向けられる。絵なんて地味なもの、と関係のない絵まで貶される。
おかげで俺はずっと劣等感を抱いて生きてくる羽目になったのだが、今となってはそれすらもどうでもいい。この家は、どうせ遠くないうちに出ていくのだから。
まあ昔から、この家での俺の存在などないようなものだった。
俺にまったくもって関心がない父とは、普段顔を合わせることもない。はたして最後にまともに話したのはいつだったか、それすらも思い出せないほどだ。
可愛がってくれた母がいなくなってからは、俺も自ら距離を置いて離れに閉じこもっているから、無理もないのだけれど。でも、そういう無関心さというか、必要外のことへ意識を向けられないあたりは、皮肉にも父の遺伝なのだろう。
「結生さん? どうかされました?」