しかし努めて表情には出さず、平然と「まだいるよ」と返しておく。
自分でも感情表現は下手くそだと思っているが、小鳥遊さんの前だとむしろ出過ぎそうになるから困る。彼女の行動は突拍子もないことが多くて、心臓に悪い。
「もしかして、もう沈んでました? 邪魔しちゃったかな」
「いや。平気」
ちなみにこの『沈む』というのは、俺が集中して絵を描いているときに自分の世界へ入り込んでしまう状態を呼んでいるらしい。
まるで深い海の底に沈んでいるみたいだから、と前に教えてくれた。
「なんだっけ」
「体育祭ですよ」
ああ、と俺は虚空に入り、ただただ遠くの方を見つめる。
「……真夏の炎天下で無駄に汗をかきながら運動しなくちゃいけない意味ってなに」
「去年もそんなこと言ってましたね」
くすくすと小鳥遊さんが駒鳥のように笑う。本当によく笑う子だ。
「で、なにに出るんですか」
「……徒競走」
「またハードな」
自分で選んだわけではなく、気づいたらそれになっていた。どうやら競技決めをする際にぼうっとしていたら、勝手に決められてしまったらしい。最悪だ。
「もうすぐ七月ですもんね。体育祭の頃には太陽ギラギラ、グラウンドは干からびてカピカピになってますよ。今年はどうも例年に比べて気温が高いみたいですし」
「ほんと誰なの、真夏に体育祭やろうとか言い出したの」
俺は基本的に省エネ体質だ。加えて最低限しか動かない生活を送っている。
絵を描いている時間が長いからと言えば正当な理由になるだろうが、実際のところ、体力に関しては男として情けなくなるほど皆無と言っていい。
つまり、限りなく運動不足の俺にとって、体育祭はただの暴挙。学校行事でやりたくないランキング不動の一位。あれは控えめに言っても地獄だ。
「……そっちはなにやるの」
「え?」
「だから、小鳥遊さんはなにやるのって」
ふと気になったことを尋ねてみれば、小鳥遊さんは虚を衝かれたように目を瞬いた。
「珍しいですね、ユイ先輩が聞き返してくるの」
「…………」
そんなことはない、と一概に否定することもできず、俺はふたたび黙りこくった。
自分がコミュニケーション能力に乏しいことは自覚している。相手が小鳥遊さんでなければ、きっとこんな他愛もない会話すらしていないだろう。