その返答を、楓は予想していた。が、はっきり聞いてしまうとやはり悲しくなる。人間でなくてもいいから、友達……せめて相談できる先輩と後輩みたいな感じに……なりたかった。
父は多忙で家にあまり居なく一人っ子で、彼女には気楽に話せる存在が、もう、誰もいないのだ。
「……そっか」
――……期待しているような容姿じゃないかもしれないぞ。止めておけ
明らかに残念そうな楓をからかい、ハッパかけるように、サクヤは言う。
巷で見るアニメやゲームに登場する、竜や狐の耳や尾が付いた和装のあやかしキャラの風貌をイメージしていた楓は、ぷはっ、と思わず吹き出した。
「……案外、普通なん?」
――普通?
「水神様なら、まんま龍、とか……」
――実体というものは、基本的に無い。力を使う時にも必要ないから、欲しいとも思わない。昔、龍に見えたと言った人間がいたのだろうが…… ずっと夢を壊していて、悪いな
急にしおらしく詫びる彼が可笑しくなり、はは、と力無げにまた笑う。こんな風に心から楽しく笑えたのは、いつぶりだろうか……
「ええよ。うちが勝手に妄想してただけやし……」
そんな彼女が視界に映った瞬間、実体の無いサクヤの身体の奥が、妙にざわつき出した。今夜、話しているうち、何かが、自分の中で蠢き始めている事態に、彼はずっと気づいていた。
「……色々頑張ってみるけど……辛なったら、また来ても、ええ?」
彼の動揺には気づかず、楓は気を改めるように、伺いを立てる。
――花の“声”は、もう大丈夫なのか。
「……サクヤさんおるなら、来る。なるべく、雨の日避けて」
不安そうな表情だが、初めて声をかけた時より、どこか力強い口調に変わった楓を、サクヤは何とも言えない、感慨深い思いで見ていた。
「桜は、ほんま哀しいけど…… もう少ししたら、ツツジとか菖蒲が咲くし、紫陽花に向日葵……夏の花も、綺麗なの沢山ある。
しとしと降る雨は、結構好きやしね。草や土の匂いも強なる。蒸すんは嫌やけど」
突然、水を得た魚のように、楓は生き生きと語り始める。少し驚いたが、サクヤには話の魅力はわからない。人間と同じ感覚が、彼ら天上の者には無いのだ。
「あ、そうや。水の匂いもすごい好きなんよ」
黙ったままの彼に、楓は我に返り、心配になった。調子に乗って喋り過ぎたと、自省する。
「……ゴメン。気に触った? うるさかったね」
――いや、水を好いてくれるのは有難い。だが、その『匂い』というものが、私にはわからない
「そう、なん……?」
水を司る神様なのに、水の良さがわからないなんて信じられなかった。
――天上の者と人間は、基本的に感じ方が違う。視界に姿形が映ったり、音が聞こえたりはするが、匂いや触感までは得られない
「そっか…… 水って触るとすごく気持ちいいし、みずみずしい匂いがちゃんとするんよ? 犬並みの鼻やなって、子供ん時いじられたけど」
――自分のこと、ちゃんと話せるじゃないか
「……サクヤさんやから、よ」
そう。彼だから何でも話せる。聞いてほしいことも、好きなことも……祖母のことも。
いつの間にか、春の夜は更けていた。どこか物悲しく、ひやり、とした雰囲気が忍び寄り、漂い始める。
――もう遅い。早く帰れ。女一人の夜道は危ない
昨日と同じ、帰宅を促す言葉。けれど、その口調は違っていた。柔らかな優しさが滲み出ている。それは嬉しい反面、切ない変化でもある事を、楓は予感していた。
「……次来た時、また、逢える?」
――いや、もう声は掛けない。そもそも、今回は、本当に特例だ
「……そう」
どうしようもない名残惜しさ、寂しさが胸の奥を痛ませ、苦しくなる。
――そんな顔をするな。姿は見えないだろうが、私はいつもこの辺りに居る
「桜の事はもう願わへんけど…… 話しかけてもええ? 返事はいらんから……」
――なら、聞いた証として、帰る時に軽く霧雨を降らす。花に影響の無い程度にするから安心しろ
また思いがけない彼の配慮に、楓は歓喜した。
「あ、ありがとう…… サク……水神様……!!」
――サクヤでいい。……じゃあ、な
その言葉を最後に、彼の“声”は本当に聞こえなくなった。しん、と静かないつもの宵の空と風景が残る。春の夜のほんの僅かな、朧気で不思議な一時。けれど、この出逢いは一生忘れないだろう……
そんな想いを抱きながら、楓は何度も祠を振り返り、気を奮い起たせてから、帰路についた。
(行ったのか。あの娘は)
――はい
楓の姿が見えなくなってから暫く経ち、ぼんやりとしているサクヤに、天上の者……水神族の長が声をかけた
(あのような人間が、現代にもいるとは驚いたな。先祖や前世は、何か知らぬが……)
――ですね。私も驚きました
(……全く。少しの霧雨とはいえ、勝手に雨を降らす契約なぞしおって。厳罰は免れんぞ)
――存じています。覚悟の上です。どうぞ罰して下さい
(……お主、まさか、始めからそのつもりで……)
――水神界の規約を破った者は厳罰……格下か、人間に堕ちるのでしょう? どうぞ人間に堕として下さい
(…………!! 永久の生と、神という名誉を棄て、わざわざ人間に?)
――はい。お願いします
(百年の寿命もない、ちっぽけで哀れな生物だぞ。相も変わらず欲に狂い、自ら厄を生み出し争い、滑稽さに気づかず恐れる。天災に怯える反面、自然に敬意は払わない者は、いつになっても存在する)
辛辣だが、紛れもない事実に言い返せず、サクヤは黙った。
(しかも、この地球は、これからも荒れるぞ。地も空も海も、怒り狂っている。そんな場所に何故、わざわざ飛び込む? 何が、お前をそこまでさせる?)
何度も考え、打ち消しても甦るのは、あの人一倍優しく、寂しげな少女の姿……
――そうですね。私も自分でもよくわかりません。ただ……その荒れた地に、あの娘がこれからも生きていくのなら、なるべく苦しまないよう、彼女の傍にいて助けたい。彼女が笑っていられるようにしてやりたい……それだけです
呆気にとられた長の気配がしたが、構わずサクヤは続けた。
父は多忙で家にあまり居なく一人っ子で、彼女には気楽に話せる存在が、もう、誰もいないのだ。
「……そっか」
――……期待しているような容姿じゃないかもしれないぞ。止めておけ
明らかに残念そうな楓をからかい、ハッパかけるように、サクヤは言う。
巷で見るアニメやゲームに登場する、竜や狐の耳や尾が付いた和装のあやかしキャラの風貌をイメージしていた楓は、ぷはっ、と思わず吹き出した。
「……案外、普通なん?」
――普通?
「水神様なら、まんま龍、とか……」
――実体というものは、基本的に無い。力を使う時にも必要ないから、欲しいとも思わない。昔、龍に見えたと言った人間がいたのだろうが…… ずっと夢を壊していて、悪いな
急にしおらしく詫びる彼が可笑しくなり、はは、と力無げにまた笑う。こんな風に心から楽しく笑えたのは、いつぶりだろうか……
「ええよ。うちが勝手に妄想してただけやし……」
そんな彼女が視界に映った瞬間、実体の無いサクヤの身体の奥が、妙にざわつき出した。今夜、話しているうち、何かが、自分の中で蠢き始めている事態に、彼はずっと気づいていた。
「……色々頑張ってみるけど……辛なったら、また来ても、ええ?」
彼の動揺には気づかず、楓は気を改めるように、伺いを立てる。
――花の“声”は、もう大丈夫なのか。
「……サクヤさんおるなら、来る。なるべく、雨の日避けて」
不安そうな表情だが、初めて声をかけた時より、どこか力強い口調に変わった楓を、サクヤは何とも言えない、感慨深い思いで見ていた。
「桜は、ほんま哀しいけど…… もう少ししたら、ツツジとか菖蒲が咲くし、紫陽花に向日葵……夏の花も、綺麗なの沢山ある。
しとしと降る雨は、結構好きやしね。草や土の匂いも強なる。蒸すんは嫌やけど」
突然、水を得た魚のように、楓は生き生きと語り始める。少し驚いたが、サクヤには話の魅力はわからない。人間と同じ感覚が、彼ら天上の者には無いのだ。
「あ、そうや。水の匂いもすごい好きなんよ」
黙ったままの彼に、楓は我に返り、心配になった。調子に乗って喋り過ぎたと、自省する。
「……ゴメン。気に触った? うるさかったね」
――いや、水を好いてくれるのは有難い。だが、その『匂い』というものが、私にはわからない
「そう、なん……?」
水を司る神様なのに、水の良さがわからないなんて信じられなかった。
――天上の者と人間は、基本的に感じ方が違う。視界に姿形が映ったり、音が聞こえたりはするが、匂いや触感までは得られない
「そっか…… 水って触るとすごく気持ちいいし、みずみずしい匂いがちゃんとするんよ? 犬並みの鼻やなって、子供ん時いじられたけど」
――自分のこと、ちゃんと話せるじゃないか
「……サクヤさんやから、よ」
そう。彼だから何でも話せる。聞いてほしいことも、好きなことも……祖母のことも。
いつの間にか、春の夜は更けていた。どこか物悲しく、ひやり、とした雰囲気が忍び寄り、漂い始める。
――もう遅い。早く帰れ。女一人の夜道は危ない
昨日と同じ、帰宅を促す言葉。けれど、その口調は違っていた。柔らかな優しさが滲み出ている。それは嬉しい反面、切ない変化でもある事を、楓は予感していた。
「……次来た時、また、逢える?」
――いや、もう声は掛けない。そもそも、今回は、本当に特例だ
「……そう」
どうしようもない名残惜しさ、寂しさが胸の奥を痛ませ、苦しくなる。
――そんな顔をするな。姿は見えないだろうが、私はいつもこの辺りに居る
「桜の事はもう願わへんけど…… 話しかけてもええ? 返事はいらんから……」
――なら、聞いた証として、帰る時に軽く霧雨を降らす。花に影響の無い程度にするから安心しろ
また思いがけない彼の配慮に、楓は歓喜した。
「あ、ありがとう…… サク……水神様……!!」
――サクヤでいい。……じゃあ、な
その言葉を最後に、彼の“声”は本当に聞こえなくなった。しん、と静かないつもの宵の空と風景が残る。春の夜のほんの僅かな、朧気で不思議な一時。けれど、この出逢いは一生忘れないだろう……
そんな想いを抱きながら、楓は何度も祠を振り返り、気を奮い起たせてから、帰路についた。
(行ったのか。あの娘は)
――はい
楓の姿が見えなくなってから暫く経ち、ぼんやりとしているサクヤに、天上の者……水神族の長が声をかけた
(あのような人間が、現代にもいるとは驚いたな。先祖や前世は、何か知らぬが……)
――ですね。私も驚きました
(……全く。少しの霧雨とはいえ、勝手に雨を降らす契約なぞしおって。厳罰は免れんぞ)
――存じています。覚悟の上です。どうぞ罰して下さい
(……お主、まさか、始めからそのつもりで……)
――水神界の規約を破った者は厳罰……格下か、人間に堕ちるのでしょう? どうぞ人間に堕として下さい
(…………!! 永久の生と、神という名誉を棄て、わざわざ人間に?)
――はい。お願いします
(百年の寿命もない、ちっぽけで哀れな生物だぞ。相も変わらず欲に狂い、自ら厄を生み出し争い、滑稽さに気づかず恐れる。天災に怯える反面、自然に敬意は払わない者は、いつになっても存在する)
辛辣だが、紛れもない事実に言い返せず、サクヤは黙った。
(しかも、この地球は、これからも荒れるぞ。地も空も海も、怒り狂っている。そんな場所に何故、わざわざ飛び込む? 何が、お前をそこまでさせる?)
何度も考え、打ち消しても甦るのは、あの人一倍優しく、寂しげな少女の姿……
――そうですね。私も自分でもよくわかりません。ただ……その荒れた地に、あの娘がこれからも生きていくのなら、なるべく苦しまないよう、彼女の傍にいて助けたい。彼女が笑っていられるようにしてやりたい……それだけです
呆気にとられた長の気配がしたが、構わずサクヤは続けた。