地上の者は神に守られて当然、というのが人間の思考と見ていたのだ。

「勝手、やからね。うちら」

 春や秋の観光シーズンは特に活気づく名所の神社、(やしろ)の光景を思い出す。誰がいつ(まつ)ったのか地元住民も知らないという、雨水と(こけ)にまみれた、目の前の小さな祠を見やり、シニカルな口調で呟く。

「普段は無関心やったり、神様自体信じてないのに…… イベントや何かあった時だけ、神頼み」

 突然、さあっ、と霧雨が降って来た。たちまち、ひやり、とした湿気が辺りを包む。厚い雨雲に覆われた宵闇の空には、星どころか、月も見えない。

「そんなやから、空……神様も怒ったんやと(おも)とったよ。親や先生らが()う、昔の『ぽかぽかした麗らかな春』とかも、うちは知らんし……」

 淡々とした口調で、ぼんやりと語る。が、そこまで言って言葉を止め、喉に詰まった息をのんだ。

「ただ……桜……花が痛々しいゆうか、聞いてて……辛い。うちが保育園行ってた頃は、こんな聞こえへんかった。いつからやったかな。……こうゆう蒸す日とか、雨続き、寒暖差激しいんも体調崩すから苦手やし、色々……正直、息苦しい……」

 客観的な独り言を言うかのように呟き続け、回想する彼女を、サクヤは凝視した。年の割に幼い顔立ちだと思っていたが、口にするのは年頃の少女らしい感受性に、相応以上に達観した考えが交えている。
 百年以上存在している彼が、見棄てられたように()る、この祠を(まも)る担当になってから幾十年だったろうか。初めの頃は、まめに掃除に来たり、供え物をしに来る人間が割と多くいた。次第にそれも乏しくなり、この数十年は、ここまで気にする人間すら少なかった。


「まぁ…… うちも、この能力(ちから)なかったら、こんなに来てへんかったやろし……偉そうに言えんよな」

 ――いや。少なからず、お前は来ていただろう

 自嘲気味に苦笑する彼女に、当然とばかりにサクヤは言い切る。楓は茫然とした。

「……なんで?」

 ――お前には、他の人間とは少し違う“念”が(まと)っているように見える

「ああ……よく言われる。マイペースやとか、古臭いなぁ、とか」

 なるほど。やっぱり神様からでもそう見えるのか……と、改めて自虐的になった。

 ――いや…… 大人でも、こんなに参拝に来る人間は少ない。それも大抵、老人だ。お前みたいな若い女が頻繁に来るなど、何か事情があるのだろうと見ていた

「――おばあちゃん」

 ――え?

「うち、小さい時からお母さんいなくて、ずっとおばあちゃんに預けられて、育ててもらったんよ」

 彼の言葉に掻き出されたように、いつの間にか口に出していた。誰にも言えなかった、胸の内。無意識に大切に守っていた、楓の聖域(テリトリー)の一部。

「水神様の話も、おばあちゃんが教えてくれた。寝る前の話は、そんなんばかり。この土地の昔話、伝承とか。中学ん時に病気で死んでしもたけど…… おばあちゃんだけは花の“声”の話、ずっと信じてくれてた……」
「当たり前みたいに聞いてくれたんよ。大きなってからは、ずっと不思議やったけど…… おばあちゃんも水神様を大事にしてたからやったんやな、って今は思う」

 目頭が熱くなり、喉が詰まった。祖母の穏やかな笑顔が、脳裏に浮かぶ。『声だけだけど、会ったよ』って……言いたかった。

「ごめん…… こんな話されても困るわな」

 ――別に構わない。聞いてるだけだ

「ひっど……」

 軽く膨れながらも、楓は少しだけ微笑む。偉大と崇めていた水神様が、実はこんなに素っ気ない気性だと祖母が知ったら、どんな顔をするだろう、と可笑しくなった。


 ――……だから、お前はここに通っていたのだな

「え?」

 ――祖母の習慣、信条を守ろうとしていたのではないのか?

 この言葉を聞いた瞬間、楓の心臓が大きく波打ち、ぎゅっ、と痛くなった。
 そうだ。忘れたくなくて、少しでも思い出に関わっていたかったのだ。唯一の理解者がいなくなった現実を、どう受け止めたらいいかわからないでいた。
 そんな彼女の心情を見抜き、サクヤは少し助言してみたくなった。話を聞く限り、他に気を許せる者はいないのだろう。

 ――友人にも話してみたらどうだ。能力は無理でも、その事情だけでも……

「……どうやろ。それはそれで、めんどくさがられそうな気、する……」

 他人から自ら距離をとり、心を閉ざしてしまっているのは自覚していた。だけど、自分の気持ちや考えを話して、引かれるのが怖い。そんな顔を、反応を、今までに何度も見てきた。
 そもそも、自身が見聞きするもの全てに慣れない。どうにも馴染めない。楓にとって、この世界は何かと(うるさ)くて、騒がし過ぎるのだ。
 『地元を出たら変わるのだろうか』とも考えたが、この町自体は嫌いでない……好きだからこそ、辛かった。この世全てにフラれたような……拒絶されたようで、悲しかった。


 少し複雑な思考が(よぎ)ったが、神らしく先達(せんだつ)者として、説き慰めるようにサクヤは語る。

 ――世界はお前が思っている以上に、ずっと広い。良くも悪くも、様々な人間がいる。なるべく居心地良くいられる場所を探せばいい。今は、そのために知識と力をつけろ

「……なん、よ。急に…………」

 予想外のサクヤの激励の言葉。揺さぶられた心に連動し、楓の()から、熱い滴が零れた。そんな様子を見守るように、サクヤは静かに黙っている。
 端から見たら、女子高生がぶつぶつ呟きながら、一人泣いている怪しい光景に見えるだろう。今だけは、ここに人が来ない事をありがたく思った。


 暫く経ち、少し落ち着きを取り戻した楓は、零れた涙の勢いで、今の素直な思いを口にしていた。

「見たいな……」

 ――え?

「サクヤさんが、どんな顔して、どんな姿でここで生きてるのか……見て、話したい。……あかん?」

 ――悪いが、無理だ。本来なら声をかけるのも禁忌(タブー)だ。お前みたいな人間だから、お上も大目に見てくれてる

 彼女の予想外の願いに、内心、戸惑い驚く。が、なるべく動揺を抑え、サクヤは断った。