「お疲れか?」

 午前中の授業が終わり、弁当を机の上に出しながらため息をつくと、佐伯が同情する顔で言った。

 きっと藍田さんのことだろう。

 この前、氷野がはっきりと言ったことで諦めてくれたと思っていた。

 でも、そんなことはなくて、藍田さんは僕を見かけるたびに声をかけてくるようになっていた。

「あの子、第二の古賀ちゃんって感じだな」
「……違うよ。全然、違う」

 しつこさで言ったら、同じかもしれない。

 でも、僕にとっては、全然違った。

 僕の世界を認めて、僕よりも大切にしてくれた古賀と、ただ自分を撮ってほしいだけの藍田さん。

 同じなわけがない。

「どうしたら諦めてくれるんだろう……」

 何度も断っているのに。

 僕の断り方が悪いのだろうか。

 これがもうしばらく続くのだと思うと、気が重くなる。

 ため息をつかずにはいられない。

「夏川栄治」

 弁当箱の蓋を開けたタイミングで、廊下から名前を呼ばれた。

 顔を上げると、氷野が、不機嫌なオーラを纏って立っている。

 どうして氷野がここにいるのかわからず戸惑っていると、氷野は手招きをして、僕を呼んだ。

「もう、氷野ちゃんが栄治の後輩に見えなくなってきた」
「僕も」

 苦笑しながら立ち上がり、氷野の元に行く。

「時間、ある?」

 近付いてわかったけど、氷野はただ不機嫌なだけではなかった。

 怒りの中に、切なさが見える。

「……うん」

 その表情を見ると断れなくて、頷くと、氷野は僕に背を見せて歩き出した。

 ついてこいということだろうと思い、氷野の背を追う。

「氷野、もしかして藍田さんのことで、怒ってる?」

 氷野が不機嫌な理由はそれしか見当たらなくて、僕から切り出してみる。

 だけど、氷野は歯切れの悪い返事しかしない。

「僕、ちゃんと断ってて、でも」
「わかってる。夏川栄治はなにも悪くない。あれは、アイツがしつこいだけ。まあ、夏川栄治には他人を傷付ける覚悟がないから、若干優しすぎるけど」

 最後の一言は余計なお世話だ。

 それにしても、わかっているのだとしたら、氷野はなにが原因でこんなにも不機嫌なのか。

 僕にはわからなかった。

 会話で間を持たせることもできず、たどり着いたのは昇降口近くにある外階段だった。

「ここにいて」

 氷野に言われた場所は、薄暗い物陰。

「え、どういう」

 僕が聞こうとすると、氷野は自分の唇に人差し指を当てた。

 黙っていろということだろうけど、ますます意味がわからない。

 それなのに、氷野は僕を置いて階段を登っていった。

「依澄、昼は食べた?」

 頭上から、氷野の声が聞こえてきた。

 古賀が、そこにいるのか。

 それがわかった瞬間、僕は意味もなく口を塞いだ。

 どうやら、氷野は僕に古賀との会話を聞かせようとしているらしい。