夕食の時間が終わると、父さんは風呂に入り、母さんは鼻歌を歌いながら皿を洗っている。

 今日のザッハトルテを、父さんが完食したことが嬉しいらしい。

「父さん、今日のは食べれる甘さだったのかな」

 食卓から、母さんが水を止めたタイミングで声をかける。

 僕でも甘いと感じたから、小さかったとはいえ、父さんがすべて食べたのは意外だった。

「顔を顰めてたから、ちょっとだけ、無理してたんじゃないかな」

 母さんはそのときの父さんの顔を思い出しているのか、クスッと笑う。

 僕にはそんなふうには見えなかったから、母さんはよく父さんを見ているなと思った。

「栄治、無理するくらいなら、食べなきゃいいのにって思ったでしょ」

 皿洗いが終わったようで、母さんは僕の前に座った。

 母さんは僕の心を見透かした目をしている。

「いや、まあ……少しだけ」

 誤魔化せないだろうから、本心を言おうとするが、はっきりとは言えなかった。

「私もね、美味しく食べてほしいから、無理しなくていいよって何回か言ったんだけど……大輔さんが、私が作ったものは全部食べてみたいって言ってくれてね」

 また惚気けの時間だ。

 察したのはいいけど、止めることはできなさそうだ。

「だったら、大輔さんが美味しいって思えるものを作ろうって、甘さ控えめなものばっかり作るようになったの」

 そのときにビターなお菓子をマスターしたのだろうと思いながら、話を聞く。

「そしたらある日、大輔さんに言われたの。僕は君に我慢をさせたいわけじゃないんだって」

 それは、今の僕に向けて、言われているような気がした。

「楽しいこと、好きなことを我慢して、楽しくないことにしてしまうのは、きっと苦しい。僕は、君を苦しめたくないんだって。素敵でしょ? 私の旦那さん」

 母さんは幸せそうに微笑んでいるけど、そこに対して感情を抱く余裕はなかった。

 昔の父さんの言葉を聞いて、無性に泣きたくなった。

「……母さん、気付いてるよね」

 もう、聞かずにはいられなかった。

「二人揃って様子がおかしいのと、栄治がまったくカメラに触らなくなったのを見れば、鈍感な大輔さんでもわかる」

 確かに、ハル兄と気まずくなって話さなくなったし、カメラを持って出かけなくなったから、気付かないほうが変な話だ。

「……聞かないの?」
「栄治は、聞いてほしいの?」

 質問に質問で返され、僕は、それに答えられなかった。

 母さんは席を立つ。

「遥哉、ゴールデンウィークには帰ってくるって」

 母さんはそれ以上は言わず、冷蔵庫からまだ残っていたザッハトルテを取り出す。

「栄治も食べる?」

 僕にそう聞いてくるということは、さっきのハル兄の話題は、ただの報告だったらしい。