氷野の抱く怒りは、バスケ部員に向けられているのか、過去の自分に向けられているのかわからなかった。

 氷野が少しだけ言葉を止めたことで、僕の耳に周りの声が聞こえてきた。

 こんなにも賑わっているのに、まったく気にならなかった。

「それから夏休みの間、依澄は部屋に引きこもってたんだって。私は会うこともできなかった」

 そのちょっとした間で氷野の心は落ち着いたらしく、話が再開される。

「それから夏休みが終わってからも、依澄は元気なくて。どう声をかければいいのかわかんないって依澄ママに相談したら、依澄ママが気分転換になるかもねって、ここの文化祭に連れてきてくれたんだ」

 氷野は僕を見て、穏やかに笑う。

 それはこれから話される内容が、苦しいものではないと教えてくれているようだ。

「そこで、依澄は夏川栄治の写真を見つけた。そのときからだよ。少しずつ、依澄に笑顔が戻ったの」

 僕にとって苦しいだけだった文化祭が、一気に特別なものに塗り替えられる。

 あれだけの地獄にいた古賀を、僕の写真が救った。

 その事実だけで、僕は写真を撮ってきてよかったと思えた。

「私も依澄ママも依澄パパも、依澄に笑顔が戻って、すごく嬉しかった。依澄ママたちは、依澄が写真を撮りたいわけじゃないのに、入学祝いにカメラを買っちゃうくらい、喜んでた」

 あのカメラにそんな想いが込められていたと知り、古賀が優しく微笑んでいた理由がわかった気がした。

 素敵な話だと思ったけど、一つ、気になることがあった。

「古賀は、僕に写真を教えてほしいって言ってきたんだけど、撮ることには興味なかったの?」
「夏川栄治に写真を撮らせるために、いろいろ試してたんじゃない?」

 その話に、妙に納得した。

 猪突猛進なところがある古賀らしい理由だ。

「まあ、それくらい必死だったんだよ、依澄は。それなのに……」

 氷野は視線を落として、落ち込んだように見せる。

 氷野の調子が戻った。

 わざとらしい演技に、僕はそう思った。

「当の本人に写真を撮らないって突っぱねられて、さぞ悲しかっただろうね」

 氷野は容赦なく、僕の痛いところを突いてくる。

「……僕にもいろいろあったんだよ」

 氷野が鼻で笑ったことで、信じてもらえていないのだとわかる。

 まあ、氷野からしてみれば、僕が気まぐれに写真を再開したように映ったのかもしれないけど。

 氷野に僕の過去を話す義理はないと思い、僕は今の氷野の反応を流した。

「氷野は、古賀がどんなに変わっても、傍を離れなかったんだね」
「当たり前でしょ」

 氷野の声は強かった。

 その瞳は、バカにするなと言っているようだ。

「私はなにがあっても、依澄の味方でいるって決めてるから」

 その存在が、どれほど心強いか。

『俺は、栄治がそんな奴じゃないって知ってるからな』

 みんなが離れていってしまったとき、佐伯は変わらず笑顔を向けてきた。

 それにどれだけ救われたのか、きっと佐伯は知らない。

 古賀だって、同じ気持ちだっただろう。

「依澄が笑っていられるなら、私は今後一切、依澄の過去に触れる気はなかった。依澄が気にしていることだって、そう。それなのに」

 だけど、僕が触れた。

 ただ一方的に、心の中を土足で踏み荒らすように。

 僕を見つめる視線から、憎しみが伝わってくる。

「……だからって、古賀が間違ったことをしようとしているときに、黙って見守るのは違うと思う」

 あのとき、僕は古賀の気持ちを考えているつもりだった。

 古賀の過去を知らなかったから、古賀を傷付けるようなことを言った。