「結蘭は今日もネットしてるの?」
「うん。同じ趣味の人と話すのが楽しくて」
わたしは音楽が好きだ。
だからもちろんライブに行くのだって好き。
学校では同じ趣味の友だちを見つかるのは難しい。
でも、ネットだとどうだろう。
検索をかけさえすればいくらでも見つかるんだ。
#音楽垢の人と繋がりたい
#音楽好きな人と繋がりたい
そんなハッシュタグを使い、今日もわたしは同じ趣味の人とダイレクトメッセージ、DMと呼ばれるもので話していた。
フォロワーの数は多くはない。
でも、色んな人と絡むことができて最高に楽しい。
私には充分すぎるほどだ。
ピコン
聞き慣れた通知音が耳に入る。
『今度あるライブたのしみだよな』
それは最近よく話すようになった二個上の男の子からきたもの。
ドキドキする。楽しい。返信が待ち遠しい。
こんなこと思うのは彼、いっくんだけ。
なんなんだろう。この想いは。
「それは恋間違いなく恋よ!」
相談に乗ってくれた親友の萌奈は目を輝かせていう。
「え、でも、会ったこともない人だし……」
「だから?」
「だから? っていわれても」
「じゃあ確かめてみよう。はい、スマホ貸して」
「え、うん」
恐る恐るスマホを渡す。
ニコッと受け取るとなにやら高速で指を動かし始めた。
数分も経たないうちに私の元へスマホが返ってくる。
「これで自分の気持ち確かめな?」
「え?」
なにをしたのかといっくんとのトーク履歴をみてみると、
『ライブで会う前によかったら通話で話さない?』
というメッセージがしっかり送信済みになっている。
「ちょ、な、なにしてくれたの!?」
急いで間違えて送ったことを伝えないと。
そう送ろうとしたら"既読"の文字が!
慌ててその画面を閉じる。
「なに、どうしたの?」
あたふたしてるわたしをおもしろおかしそうに窺う。
「どうしよ、もう既読ついちゃってる」
「いいじゃん。はやくて」
「あーもう! 断られたらどーしよ!」
「そんな仲良くて断る理由がどこにあるのよ」
ピコン
いままで待ち遠しかった通知音が一気に恐怖の音へ変わる。
「無理! わたし、みれない」
そういって、スマホを再び萌奈に渡す。
少しずつ目を開け、彼女の表情を覗く。
残念な顔はしていなかったので、断られていないのはわかった。
「はい!」
満面の笑みでスマホを渡してくる。
自分のことのように喜んでくれた彼女をみたら怒る気力もすっかり消えてしまった。
『いいよ。じゃあLINEのQRコード送るよ』
その言葉とともにQRコードが貼り付けられていた。
すぐさまお礼を言って、読み取る。
“いっくんと友だちになりました”
そんな些細な通知ですらうれしかったのをいまでも憶えている。
その日の夜、はじめて通話で話した。
「あのね、急にごめんね」
「全然やで」
話してみてわかったのが彼は関西弁を使うということ。
そして、自分にとっては優しく心地いい声だった。
なんか安心する。
「そうそれ! その曲が好きなの!」
「まじ! 同じやな!」
はじめてとは思えないくらい話が盛り上がった。
歳も住んでる場所も違うがそういうの関係なしに話すことができた。
幸せな時間だった。これが永遠に続いてほしいと願ったくらい。
気がつけば、丑三つ時がおとずれようとしていた。
「もうそろそろ寝る?」
「うん、寝よっか」
そういった声が寂しいといっていたのが自分ですらわかった。
わたし、もっといっくんと話したいって感じた。
たしかにまだ会ったことはない。
でも、この胸の高鳴りが彼への気持ちの答えを明確にしてくれた気がした。
「なんか、らん寂しそうやな」
笑いながらいった彼の言葉に頬が熱くなった。
「べ、べつに!」
「じゃあ、寝落ちしよ? 起きたら切っていいからな」
「うん!」
うれしかった。彼も同じ気持ちでいてくれたような気がして。
はじめて話したドキドキはいまも胸の中に大切に閉まってある。
「はじめまして、らんこと結蘭です」
お互い大好きなアーティストのライブ後、ふたりで会う時間をつくった。
緊張して声が震えたが、なんとか挨拶できた。
「はじめまして。そっか、本名はゆらんなんか」
「そうなの」
″らん″というのはネットでの仮名みたいなもの。といっても、自分の名前に″ゆ″をなくしただけだけど。
少し、沈黙が続く。
目を合わせては逸らす。そんな初々しい空間だった。
「そうや!」
パチンと沈黙を破るかのように手を叩いた彼をまっすぐ見つめる。
「ゆらんって呼んだほうがいい?」
「んーどっちでもいいよ」
「わかった! じゃあ、変わらずらんって呼ぶよ。それで特別なときにゆらんって呼ぶ」
“特別”
それはどこか甘い響きだった。
顔が火照ってないか何度も確認した。
「そのほうがなんかええやろ?」
「うん!」
優しく温かい眼差しで、
彼はどんなときでもわたしをドキドキさせる天才だった。
「手、繋いでみる?」
「うん」
差し出された手にそっと重ねる。
はじめてだった。だれかと手を繋ぐなんて。
いままで彼氏なんていたことなかったから尚更だ。
「わたし、観覧車無理だよ。高所恐怖症だもん」
地元の小さな遊園地だったけど、観覧車だけはここら辺でいちばん大きかった。
幼い頃は乗れたらしいがいまでは高いところは足がすくむ。
「大丈夫やって。俺がおるやん」
結局、彼の押しに負けて乗ることにした。
並ぶときから既に恐怖に支配されていたが、わたしの気がまぎれるような話をしてくれた。
少しおおらかな気持ちになれた。
順番が回ってくると、お互い向かいあうように腰かける。
景色が視界に入らないように下を向く。
「らーん。大丈夫やって」
「無理! 怖い!」
そんな中、彼がどうやら立ち上がったみたいで少し傾いた。
「ちょっとなにして! 動いたら落っちゃうから!」
「ほら、これなら怖くないやろ?」
突然、ぎゅっと強く抱きしめられた。
今度は恥ずかしさでどうにかなりそうだった。
頂上につく頃にはわたしの恐怖は限界で、彼の腕の中で目を瞑るしかなかった。
「ゆらん、こっち向いて?」
「え?」
彼の顔が近づいて、視界が暗くなる。
気がついた頃には唇に温かいものがあたった。
くるくる回る観覧車ではじめてのキスを交わした。
これがわたしたちの初デート。
はじまりだった。
このときから友だちから恋人へとステップアップした。
それから、会えない日は毎日連絡を取ったり、寝落ち通話をしたりした。
会える日は、毎回なにかつくってもっていった。
お菓子作りは趣味だったし、美味しいといってくれるから何回もつくりたくなった。
「ほんとに大好きだよ」
「こんなに好きになったのはじめてってくらい」
「永遠に大好きだよ」
彼からの言葉はすごくうれしいものだった。
わたしも同じくらい、いや、それ以上の愛を返した。
でも、濃い時間を過ごす度、彼にとって目に付くところが出てきたみたいだった。
「らんのその世間知らずなとこどうにかならない?」
「語彙力と説明力がなさすぎ」
「左と右がわからないなんて方向音痴の域をこえてる」
「ちょっと、他の異性の話題出しすぎじゃない?」
小言をことあることにいうようになった。
わたしはそれについては自分でも直すべきだと思っていたし、だからなにもいわず受け入れてきた。
いま思えば、ひとつずつ飲み込むのではなく、いいたいことはそのときに優しくいえばよかった。
彼に嫌われたくなくて、なにもいえなかった。
それがいけなかった。
ふたりの定番デート場所はカラオケだった。
彼の歌を聴くのが好きだった。
彼はとても歌がうまかったから。
それだけでなく、他愛もない会話もした。
そんなたくさんの想い出がある大切な場所で憤りが爆発してしまった。
彼は優しく冗談ぽく、わたしがあまり傷つかない言葉選びをしてくれたのに。
「なんでそんなたくさんいわれないといけないの! さすがに傷つく! わたしはあなたといるときですら気を遣えっていうの!」
いい出したら止まらなくて、彼の顔なんかみずにたくさんの言葉を思いっきりぶつけてしまった。
ふと、彼の悲しそうな表情をみてハッとした。
わたしはなんてことをいってしまったのかと我に返る。
感情のコントロールもできないだなんて、子どもだ。
「ごめ」
凍てついた空気を戻そうとすぐ謝ろうとしたけど、彼の瞳がなにかを決意した表情に変わった。
「あのさ、やっぱり友だちに戻らない?」
その言葉を聞いた瞬間、わたしの中でなにかがぷつんと切れた。
ずっと張り詰めていた糸が切れたかのように。
「……やだ」
急にぼやけた視界の中、出てきた言葉はとてもシンプルだった。
「いやだ。別れたくない」
子どもみたいに泣きすがった。
こんなことしても余計に彼から嫌われるだけだ。マイナスになるだけだ。
そう、わかっていたのに。
わたしの口は止まらなかった。
この狭い部屋には、泣き声と彼への気持ちが溢れていた。
「ごめん。ほんまにごめん。やっぱ無理だわ。ずっと思ってたけど価値観とか考え方が違いすぎる」
わたしが落ち着いた後、彼は申し訳なさそうに頭を下げる。
違う。謝ってほしいわけじゃない。
そんな申し訳なさそうな顔しないで。
そんなわたしたちの関係を否定するみたいなこといわないで。
「チャンスをください。わたし、好きだもん。別れたくない」
ここまできたらもう彼も呆れているだろう。
みっともない。自分が蒔いた種なのに。
そうわかっていながらも彼との繋がりが切れるのをなにより恐れた。
「わかった。もう一回よく考えてみるから」
それだけ残して、部屋から出ていった。
「……嘘つき」
自分でも驚くほど消えそうな声だった。
“永遠に大好き“とかいわないでよ。
大して、わたしのこと好きじゃないくせに。
やけになり、失恋ソングばかり予約に入れた。
最初は歌えていたが、途中からもううまく声が出なかった。
取り残されたメロディーが心に染みて余計に涙がこぼれた。
後日、萌奈に彼のことを話すととても真剣に聴いてくれた。
彼女にだけは思ったこと、考えたことすべていえた。
彼にはいえなかったことさえも。
「結蘭、それただ苦しいだけじゃないの?」
「うん、苦しい。思わなかった。恋がこんなにも苦しくて辛いなんて思わなかった!」
自分で引き止めたくせに辛い。
一度別れを考えたふたりはもう元の温かさには戻らないみたい。
あれからメッセージでのやりとりはあるけど、温度差を嫌でも感じてしまう。
「ごめんけど、話聴く限りはふたりは合ってないと思う。結蘭が色々いったのも言い方はきついとはいえ、正論だよ。間違ってないよ」
宥めるように背中を優しくさすってくれる。
「でも、はじめてこんな好きになってそれがずっと続くと思ってたもん」
彼女の手を掴み、訴えかけた。
でも、わたしの反論に彼女はなぜかため息をついた。
「あのね、恋愛経験ないあなたはわからないかもだけれど、好きがずっとなんてないのよ」
「……」
「別れるのが正解の恋もあるの。いまの結蘭は幸せそうじゃないもの」
その言葉に心を揺さぶられた。
わたしは自分が別れたくない一心で彼に迫ってしまった。
身を引かないといけないのかもしれない
彼の幸せを願っているなら。
『明日、いつものカラオケで会えないかな?』
久しぶりの会うためのメッセージがきた。
この文面からして会いたいとかじゃないのだろう。
悲しいけど。
『いいよ』
そう返すしかない。だって、もう彼が出した答えがわかってしまった気がする。
そしてわたしだって__
カラオケで少し歌ったあと、マイクを置き、わたしの正面に座る。
大切な話をするのだろう。背筋を伸ばして身構える。
「ごめん。やっぱ、別れたい」
彼はばつが悪そうに声を発した。
今度はそれを受け止める。
「うん、いいよ。別れよ」
間髪入れず、答えたわたしを驚いた表情で見つめた。
「なに? 別れたくないを期待した?」
「いや……」
「冗談だよ」
少しぎこちない表情で笑ってみせた。
彼のほうが痛そうな哀しそうな顔をしていたのは気のせいだろうか。
これは萌奈と話してから自分なりに決めていたことだ。
二度目は引き止めない、と。
二回も別れたいと思わせたのはわたしなのだから。
わたしのわがままで彼の幸せまで奪うわけにはいかない。
そして、彼が別れるといわなくともわたしが告げるのだと。
「ゆらんには俺じゃないもっとあう人がきっといるよ」
ゆらん。
そう呼んでくれるのはもう最期かもしれない。
「……そうかな」
「ごめんな。ほんまに」
何度も申し訳なさそうに謝る。
もう、聴き飽きたよ。
「謝らないでよ」
謝ったりしてほしくない。
そんなことされたら、いままでの時間が否定された気になってしまう。
「ねえ、わたしと別れたらわたしとの時間はすべて無駄になる?」
「そんなことは絶対にない!」
少しの間もあけずに答えてくれて、涙が溢れそうだった。
でも、決めたから。もう涙をみせないって。
「ありがとう。わたしもだよ」
いっくんと付き合えた時間は無駄じゃない。
幸せな時間だった。
しばらく無言が続く。
他の部屋から漏れる音源がやけに大きく聞こえた。
「じゃあわたし、このままひとカラしてくからさ」
歌う気もないのにマイクとデンモクを手に取る。
「わかった。じゃあ、また……会うかはわからないけど元気でね」
「……うん」
静かに出ていく彼の背中を最後の最後まで目に焼き付けた。
扉が閉まると、もうわたしはだれのものでもないということを実感した。
そうだ、彼との結末を彼女に伝えなければ。
ずっとそばで見守ってくれた親友に。
『いま、家の近くのカラオケにいるんだけど』
萌奈にメッセージ送った。
すぐ既読がつき、『いまからいくよ』と返ってきた。
「結蘭」
すぐに駆けつけてくれた彼女は、走ってきてくれたのか息が荒かった。
すぐさまエアコンをつけて座ることを促す。
「わあ、萌奈とカラオケとか久しぶり! なに歌う? あ、なんか頼む?」
わざとらしくいつもより明るく振る舞う。
「なにがいいかなー?」とデンモクをぽちぽち押す手は彼女によって止められてしまった。
「いいよ。無理しなくて」
わたしの不自然な明るさにもすぐ気づいてくれる。
萌奈はより一層そばにきて、優しく背中をさすってくれた。
「あのね……別れることにしたよ」
「うん」
「別れよっていわれて、でも、わたし笑って……いいよっていったよ?」
「うん」
萌奈は頷くだけでなにも訊いてこなかった。
それが救われた。
「彼の前で涙ひとつこぼさなかったよ」
「うん。よくがんばったね」
そういう彼女の声は頼りなく震えていた。
わたしのことなのに自分のことのように哀しんでくれていることが温かい手から伝わってくる。
「これが、わたしも納得して決めた結末なのになんでこんな悲しいのかな」
「それは……結蘭が本気で恋してたからだよ!」
ぎゅっと萌奈が優しく包み込んでくれた。
その温かさもあり、自然と涙が溢れた。
いままでの想いが爆発し、彼女の腕の中で声が枯れるまで泣き続けた。
本気で。そっか。
わたしはじめての彼氏でちょっと必死すぎたのかもしれない。
もっと気軽に付き合えばよかった。
「でも、彼を好きになれてよかった。まだ、当分は、好きでいてもいいのかな……?」
頼りなく声が震える。
だんだん視界が鮮明になってくる。
「いいんだよ。好きでいるのは自由なんだから」
彼女の言葉にまた救われた。
彼との連絡は途切れて一ヶ月が過ぎた。
ネットでツイートはみるが、DMはしない。
けど、わたしにはどうしても渡したいものがあった。
誕生日プレゼント。
それは部屋の隅っこにあるわたしがつくった彼の歌記録をまとめたもの。
『10日の日会えませんか?』
その日がいっくんのお誕生日。
別れたとしても好きな人が生まれた日はお祝いしたい。
逡巡しながらやっとの想いで送れた一言だった。
ドギマギしながら待っていた彼の返事はわたしを落胆させた。
『ごめん。その日は空いてない』
そりゃそうか。
よりによっても誕生日の日に別れた元カノに会いたくないよね。
そもそも会いたくないだろうに。
『でも、その前の日なら空いてるよ』
その言葉で顔が緩んだ。
彼の言葉で沈んだり、舞い上がったり。
自分でも感情が忙しいなと思う。
『ほんと? ほんの少しの時間で大丈夫だから』
話し合った結果、カフェにしようといった。
プレゼントを渡したいだけだし、彼の時間を奪いたくなかったからちょうどいい。
「らん!」
わたしの好きな優しい声がした。
その方向をみると、前とそんなに変わらない彼の姿。
「あ、こんにちは」
まるではじめてあったかのように緊張した。
「……じゃあ、いこっか」
もう差し伸ばされることのない手をみて胸を締め付けられるような思いになった。
彼の歩く後ろを一歩下がってついていく。
わたしはあなたの彼女ではない。
友だち。ただそれだけ。
その事実にすごく苦しくなる。
「あ、らん、そこ右に曲がって」
止まってスマホで店の地図をみながら、後ろから聞こえる彼の指示に従う。
「あ、うん」
「……」
いわれた通りに右に曲がっただけなのに、振り返ると彼はその場から動こうとしなかった。
疑問に思い、彼の元へ戻る。
「え、なに! なんで立ち止まってんの?」
「いや、左と右の区別つくようになったんやなと思って」
「あ、うん」
そういえば、いわれたな。
『左と右がわからないなんて方向音痴の域をこえてる』って。
「あれから“左右盲“って言葉知ってさ、らんそれだったらごめんと思って」
「それはわかんないけど、がんばって区別できるようにしてるの」
「……そっか!」
なぜだかうれしそうだった。
「はい、一日はやいけど。いっくん、お誕生日おめでとう!」
プレゼント共に言葉を贈る。
一瞬、目を開いて驚いていたけど、すぐ表情が満天の星のように耀いた。
「え、うれしい。憶えててくれたんだ」
あたりまえだよ、というように大きく頷く。
「ありがとう。なんかいままでももらってばっかだったのに申し訳ないな」
「そんなことないよ」
そんなこと思わないでいいんだよ。
わたしだってたくさん想い出をもらったんだから。
最近の近況報告を話し合って、はじめて話した通話のときみたいにたのしかった。
お茶を飲み終わり、じゃあ、と別れようとすると彼はそれを拒んだ。
「ゆらん」
もう呼ばれることはないと思っていた自分の名前に喫驚した。
いまでも名前の呼び方使い分けてくれてるんだ。
「ん、なに?」
「たしかにもう俺はゆらんの彼氏じゃないけど。でも、ゆらんが会いたいって思ったときはいって?」
「え……」
「いつでもあいにいくから。別れたからって縁まで切ることはないんだから」
「うん! うん! ありがとう!」
関係性は違ど、繋がりはなくならないから、そういわれたような気がした。
うれしくて、涙が溜まり、視界が少し滲んだ。
「あーもうほんまに泣き虫やな……」
優しい顔で笑って、こぼれた一筋の雫を拭ってくれる。
「またね!」
「うん!」
お互い笑顔で別々の方向へと歩いていく。
でも、もう哀しくなんてない。
迷いも存在しない。
ひとりで歩く帰り道。雲ひとつない澄み渡ったようにきれいな空を見ながら思い耽る。
こんな広い世界の中で同じ時代に生まれ、出逢えることは奇跡だ。
また、お互い好きになれる確率はどれだけ低いだろう。
いまだからいえること。
わたしはあなたと出逢えたことも、恋に落ちたことも後悔してない。
そして、別れたことだって。
いい経験になったと思う。
ありがとう。
なんにもなかったわたしに恋を教えてくれて。
たとえ、報われなかった恋だったとしても、それはいつか優しい想い出に変わる。
好きな気持ちは好きなまま。
もういいやっていえるときがくるまで。
付き合っていた169日間を決して無駄にはしない。
わたしは自分を成長させるために少しずつ前に進んでいく。
あなたを想う気持ちを抱きしめながら。
「ねえ、あなたのことほんとに大好きだったよ」
いつか笑って過去を話せるようになるまで。