漣がおかしい、と確信したのは、翌朝だった。
 いつもは私よりかなり早起きで、身支度を終えた私が居間に行くとすでに朝食の準備を手伝っている彼が、なぜかいつまで経っても起きてこない。
「どうしたんかねえ、漣くんは。珍しくお寝坊さんかねえ」
 おばあちゃんが料理を並べながら首を傾げている。昨日の夜ナギサから帰ったあともどこか様子がいつもと違った。妙に口数が少なくて元気がなかった。
 溺れた男の子を救助したあとだったので、疲れているのだろうと私もあえて話しかけたりしなかったけれど、今思えば、いくら疲れていたにしてもおじいちゃんたちに声もかけずに部屋に上がった姿は、いつもの彼とは全く違っていて異様だった。
 私は「様子見てくるね」とおばあちゃんに告げて二階に上がった。
「漣、起きてる?」
 彼の部屋の前に立ち、声をかける。反応がなかったので、もう少し強めにノックをした。すると中から呻くような声が聞こえてきて、しばらくしてふすまが開いた。中はまだカーテンが閉まっていて薄暗い。
「……ごめん」
 姿を現した漣が、うつむいたままぽつりと呟く。なにに謝っているんだろう、と思いながら彼を見て、息を呑んだ。
「ちょっと……なんで着替えてないの!?」
 漣は、昨日海で男の子を抱き上げたときに濡れた制服を着たままだったのだ。半日以上経っているのですでに乾いてはいるけれど、濡れたまま寝たのか服はしわくちゃになっていた。いつも自分できちんとアイロンをかけて身綺麗にしている彼からは考えられないことだ。
「……昨日帰ってから、ずっとそのままだったの?」
 私の問いかけに、漣は自分の身体を見下ろして、今初めて気がついたというように「ああ」と声を上げた。
「漣……」
 なんと声をかければいいか分からない。一体どうしちゃったの、なんて気軽に訊ける雰囲気ではなかった。
「着替える」
 片言のようにぎこちなく言うと、彼はのろのろとふすまを閉めた。
「おばあちゃん……漣が、なんか、変なの」
 一階に下りてすぐにおばあちゃんに声をかけた。
「変? あらまあ、風邪でも引いてまったんかねえ」
「うん……どうかな……」
 でも、ただの体調不良には見えなかった。かといって、それを口にするとおばあちゃんに余計な心配をかけてしまうかもしれない。
「ちょっと台所使うね」
 私がそう言うと、おばあちゃんが嬉しそうな顔をして「あらっ」と声を上げた。
「漣くんになにか作ってあげるんかね」
「……まあ、うん」
 そう言われると、なんだか急に恥ずかしくなってくる。
「あらあ、いいねえ、いいねえ。好きな食材なんでも使っていいからね」
「ありがとう」
 私はそそくさと台所に入り、炊いてあったご飯を使って、細かく刻んだシイタケと、ショウガとネギをたっぷり入れた玉子雑炊を作った。
 お盆にのせてれんげを添え、居間に持っていこうとしたものの、二階からなんの物音もしないので、そのまま階段を上がった。
「漣、ご飯持ってきたよ」
 また反応がない。「入るよ」と声をかけてふすまを開けた。
 漣はTシャツと短パン姿で布団の上に転がっていた。脇にはさっきまで着ていた制服が乱雑に脱ぎ捨てられている。いつも必ず洗濯かごに入れているのに。
「……食べれそう?」
 枕元にお盆を置いて訊ねると、彼はのろのろと身体を起こし、雑炊の入った小鍋を見て「ありがとう」と呟いた。
「無理しなくてもいいからね」
 彼は小さくうなずき、布団の上にあぐらをかいてれんげを手に取った。そんな仕草も、いつもきちんとしている漣らしくない。
「……これ、お前が作ったの?」
「あ、うん。口に合うといいんだけど」
 ひとくち含むと、漣は小さく笑った。
「やっぱ、ばあちゃんの味に似てるな。うまいよ」
 かすかな笑顔と何気ない言葉が、ひどく嬉しかった。少しでも元気が出たのなら、作ったかいがあった。
 でも、ゆっくりと三分の一ほど食べたところで、彼は急に口許を手で抑えた。それから勢いよく立ち上がり、部屋を飛び出して隣のトイレに駆け込む。
 驚いてあとを追うと、中から嘔吐する音が聞こえてきた。
「漣、大丈夫!?」
 しばらくして、漣が口許を拭いながら出てくる。
「……ごめん」
 申し訳なさそうに謝られて、たぶん私が作ったものを吐いてしまったと気に病んでいるのだろうと思い、「気にしないで」と返した。
 漣は弱々しくうなずいて、よろよろと部屋に戻っていく。
「やっぱり具合が悪いんだね。今は無理して食べないほうがいいね。なにか飲みもの持って来ようか?」
「大丈夫、水ならあるから……」
 かすれた声で答えて、彼は力尽きたように布団に倒れ込んだ。
 私はお盆を持って部屋を出て、階段を下りる。台所で、漣がいつも部活に持っていっているスポーツドリンクをコップに入れて、二階に戻った。
 でも、漣はもう声をかけても反応してくれなくて、枕元に置いてそっとふすまを閉めた。