平城京の導き ~古都の物語〜

 そしていよいよ即位の礼が執り行われる。
 この日、元明天皇の娘である氷高皇女は、新たに元正天皇として即位する。この儀式は、天皇が前代より皇位を受け継いだことを、天と地、神々と人々に示すものだと聞いている。
 大極殿の前庭には、色鮮やかな衣をまとった群臣が整然と並び立っていた。天皇に近いのは位の高い者たちで、下の者ほど、自然と後ろに並ばされている。
 前庭の右手では、皇族女性方が列をつくり、そのすぐ外側――貴族女性の前列に三千代が立っていた。
 安宿媛はさらにその後ろ、控えの位置に並ばされている。正式な女官ではない以上、人目につき過ぎる位置に立つことは許されない。それでも今日だけは、この目で見届けたかった。
(お父さまはかなり前の方でご覧になっているわ。ここからでは、お父は少し見えにくいけど)
 列の中央には大臣や貴族たちが並び、その中に藤原不比等の姿もあった。彼は両手を袖に収めたまま、静かに天皇の登場を待っている。
 前庭の周囲には、獣や星辰を描いた幡や幢が立ち並び、縦に垂れた布が静かに揺れていた。    
 そして、その奥に大極殿の高御座(たかみくら)があった。これほど多くのしるしに囲まれて即位なさるのだと知り、安宿媛は思わず息をのんだ。
 そのさらに奥、龍尾壇(りゅうびだん)の前に立つのは皇太子である首皇子だ。彼の立つ壇は前庭よりもひと段高く、遠くからでもはっきりと姿が見えた。背筋を伸ばし、まっすぐ大極殿を見上げている。その姿に気づいた安宿媛は、遠くから小さく息をのんだ。
(あれは……首皇子?姿を見るのは一年ぶりだわ)
 彼は今東院に住んでおり、安宿媛の自宅ともそれ程離れていないにもかかわらず、彼と会う事は出来ずにいた。
 皇太子という立場になってからは、会うことを許される者も、ごく限られた人物だけで、向こうから会いたいという意向がなければ、安宿媛にはどうすることも出来なかった。
(こうやってみると、本当に皇太子になったのね)
 昔は割と弱々しい感じだったが、一年会わなかっただけで、彼女は皇子がまるで手の届かない人になってしまったように思える。

 やがて大極殿の扉が静かに開かれる。殿内の高御座には、白い衣をまとった新しい天皇が立っておられた。外庭に並ぶ群臣は一斉にひざまずき、その姿を見上げる。その瞬間、あたりがしんと静まり返った。
 中臣氏が前に進み出て、天皇の御代が久しく栄えるよう寿詞を読み上げた。続いて、八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣が順に運ばれ、天皇の前に置かれる。それをもって、皇位が正しく受け継がれたことが示された。

 やがて、天皇自らの御言葉を伝える詔が、侍従によって朗々と読み上げられた。

「私はこの度、先の天皇より位を譲り受けました。そして今後は国家の安泰を取り計らっていこうと思う。
 そのためには、人民が豊かになる事が大切であろう。
 それには一人一人が財産を増やす事に専念する事が必要だ。
 男は農耕を営み、女は機織に励め。
 家の衣食が豊かで、人民が恥を知る心が生まれれば、おのずと刑罰など必要がなくなる。
 その努力を官民がしなくて良いのだろうか。
 彼らはまだその生業の技術を身につけていない。ただただ湿地でのみ稲を作り、陸田の優位性など知らないのだ。
 そうなれば洪水や日照にあっても蓄えの穀物がなく、飢饉にみまわれてしまう。
 これは彼らの怠りではなく、国司が教え導くべきものなのだ。
 それには麦と稲を同時に植えさせるのだ。また栗は長く貯蔵でき、穀物の中で最も優れている。
 この事を広く天下に告げ、心をつくして耕作させよ。
 その他の穀物は、人民の努力に応じて割り当てよ。
 もしその者達の中に、稲の代わりに栗を租税として納める者がいたら、それを許しさない」
 朗々たる声が朝堂に響く。
 ここで一瞬、安宿媛の耳にも、その言葉ははっきり届いていた。それは豊穣と平和を祈る女帝の声だ。それは静かでありながら、とても力強かった。
 やがて群臣は一斉に拝礼し、万歳の声を上げる。その響きが大極殿の外で大きく響きこだました。
(これがきっと、新しい御代の始まりなのね)
 安宿媛はふと胸に手を当てた。すると、そこがはっきりと熱を帯びているのを感じた。