平城京の導き ~古都の物語〜

「呪詛か。それは、まったく考えていなかった」
「ですので、一度、陰陽寮の者に安宿媛の容体を見てもらってはどうでしょうか」
「確かに……お祖父さまも、安宿媛のためなら、それくらいは動いてくれるはずだ。俺もいることだし」
 このまま書物を調べ続けていては、かなりの時間がかかってしまう。それならまずは、呪詛の可能性を疑ってみるのも、悪くはないだろう。
「分かりました。では、一度その線で当たってみます。安宿媛にも、あなたの提案だと伝えれば、きっと喜ぶでしょうから」
「それは、すべてが終わってからで構いません」
 真備は一呼吸置いてから、落ち着いた声で言った。
「え? それは、どういう意味ですか?」
 真備は、少しだけ表情を引き締めながらも、穏やかな眼差しで首皇子に向かって言った。
「安宿媛は、あなたが助けるべき方ですし、彼女もそれを望んでいるはずです。ですから……どうか、一刻も早く、彼女のもとへ向かってあげてください」
 首皇子はそれを聞いて、思わず目を見開いた。真備が、ここまで多くのことを察しているとは思っていなかった。
(もしかして、安宿媛は彼に、俺のことも話していたのか?)
「分かりました。これからお祖父さまのもとに行って、このことを話し、急いで陰陽寮の者に来てもらえるよう、手配してもらいます」
「えぇ、それが良いと思います」
 真備は、ふっと微笑んでそう答えた。
 首皇子もその表情を見て、わだかまりが薄れていくのを感じ、心が少し軽くなったような気がした。
「では、俺は急いで向かいますので、これで失礼します」
 首皇子はそう言うと、そのまま駆け足で部屋の外へ出ていった。
 彼を見送った真備は、地面に落ちていた書物を、さっと拾い上げる。そして、小さな声で、そっと呟いた。
「安宿媛……本当に良かったですね。あなたが、無事に回復されることを、心から祈っております」
 こうして、首皇子から藤原不比等へと、呪詛の可能性についての話が伝えられると、不比等はすぐさま邸宅へ陰陽寮の者を遣わした。
 ほどなくして、不比等が呼び寄せた一人の陰陽師が邸に到着した。
 首皇子も同席するなか、その陰陽師は、安宿媛の様子を丹念に見ていくことになった。
 陰陽師はほとんど言葉を発さない。その静けさが、その場にいる者たちの緊張を、いっそう際立たせていた。
 彼女の脈や息づかい、顔色、そして周囲に漂う気配。そのひとつひとつを丁寧に観察していき、やがて、その結論を低く告げた。
「不比等殿。この容態は、自然の病とは思われません。やはり、人の念によるものとして、呪詛を疑うべきでしょう」