その後、不比等は邸宅に僧侶を招き、薬師如来に病の平癒を願う読経を行わせた。だが、安宿媛の容態の異常は伏せられていたため、かなり控えめな形で行うよう取り計らわれた。
また首皇子も、不比等に一度東院へ戻るよう勧められ、渋々その場を後にした。
「くそ、今も安宿媛は、一人で苦しんでいるというのに……」
彼の部屋には、板張りの床の上に上等な絨毯が広く敷かれ、横木に布を掛けた几帳によって、ゆるやかに仕切られていた。
そこで首皇子は、一人でもんもんと頭を抱えていた。だが今の彼には、どうすることもできない。
安宿媛の容態は、今はまだ伏せられているが、状況が変わらなければ、いずれ他の者たちにも気付かれてしまう。そうなれば、妙な噂が立つやも知れない。
だがそれよりも、彼にとって何より重要なのは、安宿媛自身の状態だった。
「あの子は、あんなにも信仰深く、人への思いやりを欠かさない。それなのに、仏は何もしてくれないのか!」
彼は思わず、脇の机を思いきり叩いた。その反動で、書几もぐらりと揺れる。すると、腕に巻きつけていた布紐が、はらりと外れてしまった。
それを慌てて拾い上げ、独り言のようにつぶやいた。
「薬師も祈祷も駄目となると……他に何か、方法はないのか」
だがその時、彼の脳裏に、あることが浮かんだ。原因が見つからないのであれば、調べてみればいいのだ。
「そうだ。過去に同じ症状があった者の記録や、それに関する書物はないだろうか。大学寮を訪ねて、一度探してみよう」
首皇子はそう思い立つと、そのまま部屋を飛び出し、馬を借りて、急いで大学寮へ向かうことにした。
大学寮は長屋王の自邸のすぐ近くにある。首皇子が、その家の門前を横切ろうとした、まさにその瞬間だった。門の前で、よそよそしく中へ入っていく人物の姿が、ふと彼の目に留まる。見たところ、さほど身分の高くなさそうな男たちだった。
(長屋王の家の前で、一体どうしたんだろう?)
だが、今は大学寮へ向かうことの方が先決だ。彼はそれ以上考えることをせず、先を急いだ。
そして大学寮に着くと、厩に馬を預け、すぐさま資料小屋へ向かった。
彼は戸の前で一度立ち止まり、少し重い松戸に手を掛けた。思った以上に抵抗があり、両手に力を込めて押す。
「……っ」
戸は「ぎぃ……」という低い音を立てて、ゆっくりと開いた。中には最小限の光しか届かず、扉を閉めてしまえば、何も見えなくなりそうだった。
とりあえず、彼は中へ足を踏み入れる。木材で組み立てられた棚が並び、そのどれもに、びっしりと書物が収められている。
「しかし、なんて量の多さだ。とりあえず、病に関わるものから調べてみるか」
彼はそこそこ仕分けされた木造の棚を順に見ていき、病に関わる書物が置かれている場所を、ひとまず見つけることができた。
「とりあえず、片っ端から見ていくしかないか」
そして彼は、ひとつひとつ中身を確かめていくことにした。だが量も多く、なかなか根気のいる作業だった。それでも彼は一切手を止めることなく、続けていった。
どれほど時間が経った頃だろうか。どうやら、首皇子のいる部屋に、人の気配がそっと入り込んできたようだ。
部屋の中は薄暗く、首皇子も目的の書を探すのに必死だったため、相手の人物がすぐ近くまで来るまで、まったく気づかずにいた。
「何か、書物でもお探しですか?」
そう声をかけられて、首皇子は初めて相手の存在に気づき、はっとして振り返った。そこには、大学寮の学生らしい青年が一人、立っていた。
また首皇子も、不比等に一度東院へ戻るよう勧められ、渋々その場を後にした。
「くそ、今も安宿媛は、一人で苦しんでいるというのに……」
彼の部屋には、板張りの床の上に上等な絨毯が広く敷かれ、横木に布を掛けた几帳によって、ゆるやかに仕切られていた。
そこで首皇子は、一人でもんもんと頭を抱えていた。だが今の彼には、どうすることもできない。
安宿媛の容態は、今はまだ伏せられているが、状況が変わらなければ、いずれ他の者たちにも気付かれてしまう。そうなれば、妙な噂が立つやも知れない。
だがそれよりも、彼にとって何より重要なのは、安宿媛自身の状態だった。
「あの子は、あんなにも信仰深く、人への思いやりを欠かさない。それなのに、仏は何もしてくれないのか!」
彼は思わず、脇の机を思いきり叩いた。その反動で、書几もぐらりと揺れる。すると、腕に巻きつけていた布紐が、はらりと外れてしまった。
それを慌てて拾い上げ、独り言のようにつぶやいた。
「薬師も祈祷も駄目となると……他に何か、方法はないのか」
だがその時、彼の脳裏に、あることが浮かんだ。原因が見つからないのであれば、調べてみればいいのだ。
「そうだ。過去に同じ症状があった者の記録や、それに関する書物はないだろうか。大学寮を訪ねて、一度探してみよう」
首皇子はそう思い立つと、そのまま部屋を飛び出し、馬を借りて、急いで大学寮へ向かうことにした。
大学寮は長屋王の自邸のすぐ近くにある。首皇子が、その家の門前を横切ろうとした、まさにその瞬間だった。門の前で、よそよそしく中へ入っていく人物の姿が、ふと彼の目に留まる。見たところ、さほど身分の高くなさそうな男たちだった。
(長屋王の家の前で、一体どうしたんだろう?)
だが、今は大学寮へ向かうことの方が先決だ。彼はそれ以上考えることをせず、先を急いだ。
そして大学寮に着くと、厩に馬を預け、すぐさま資料小屋へ向かった。
彼は戸の前で一度立ち止まり、少し重い松戸に手を掛けた。思った以上に抵抗があり、両手に力を込めて押す。
「……っ」
戸は「ぎぃ……」という低い音を立てて、ゆっくりと開いた。中には最小限の光しか届かず、扉を閉めてしまえば、何も見えなくなりそうだった。
とりあえず、彼は中へ足を踏み入れる。木材で組み立てられた棚が並び、そのどれもに、びっしりと書物が収められている。
「しかし、なんて量の多さだ。とりあえず、病に関わるものから調べてみるか」
彼はそこそこ仕分けされた木造の棚を順に見ていき、病に関わる書物が置かれている場所を、ひとまず見つけることができた。
「とりあえず、片っ端から見ていくしかないか」
そして彼は、ひとつひとつ中身を確かめていくことにした。だが量も多く、なかなか根気のいる作業だった。それでも彼は一切手を止めることなく、続けていった。
どれほど時間が経った頃だろうか。どうやら、首皇子のいる部屋に、人の気配がそっと入り込んできたようだ。
部屋の中は薄暗く、首皇子も目的の書を探すのに必死だったため、相手の人物がすぐ近くまで来るまで、まったく気づかずにいた。
「何か、書物でもお探しですか?」
そう声をかけられて、首皇子は初めて相手の存在に気づき、はっとして振り返った。そこには、大学寮の学生らしい青年が一人、立っていた。



