すると、どこからか複数の人の声が聞こえてきた。
どうやら二人を案じた従者たちが、心配して探しに来たようだ。遠くから草をかき分けるような音も混じり、こちらへ近づいてくる気配がじわりと迫っていた。
「おい!俺たちはここだ!!」
首皇子は安宿媛をしっかりと抱き寄せたまま、思いきり声を張り上げた。その声は周囲に大きく反響したのか、従者たちの耳にもすぐ届いたらしい。
彼らは驚いた様子で、声のした方へと急いで駆け寄ってきた。
「首皇子、無事ですか!!」
やって来た従者たちは、思わず崖下をのぞき込み――そのまま言葉を失った。二人が落ちた先は、上から手を伸ばして助けられるような場所では到底なかった。
「俺と安宿媛が落ちてしまったんだ。だが、幸い二人とも大きな怪我はなく、心配はいらない」
「そ、そうでしたか。本当に良かったです。ですが……その、ここからお二人を引き上げるのは、かなり難しいかと」
安宿媛は、従者の言葉を聞き、思わず首皇子のほうへ視線を向けた。
首皇子もふと黙り込み、斜面の上を見上げている。どうやら従者の言うとおり、ここから登るのは容易ではなさそうだった。
安宿媛にも、それは一目で分かった。首皇子一人ならともかく、二人で無理をすれば、また滑り落ちかねない。
首皇子もそのことを理解しているのか、彼の眉がかすかに寄った。
その表情を見た安宿媛は、一瞬胸がざわめくのを感じた。
「幸い、この先は獣道へと続いているようだ。だから俺たちは、この道を通って先へ進むことにする。お前たちとは、その先でうまく合流できるようにしよう」
「え、お二人で進まれるのですか?」
「あぁ。だから――まずは水と食料を、ここに下ろしてくれないか?」
従者たちは、その言葉に思わずぎょっとした表情を浮かべ、互いの顔を見合わせる。そして短く意見を交わし合ったのち、再び首皇子たちのほうへ向き直り、慎重に口を開いた。
「わ、分かりました。天皇と、それから不比等様にもこの件はすぐにお伝えいたします。水と食料も、急ぎこちらへお持ちいたします」
そう言うと、従者のうち数名が伝言を届けるため、慌ただしく駆け戻っていった。
安宿媛は、首皇子にしがみついたまま、その光景をただ呆然と見送っていた。まさか首皇子がこのような判断を下すとは、全く想像できなかった。
「首皇子、本当にこのまま進むおつもりですか?」
「ああ。それがおそらく最善の方法だと思う。お祖父さまも、きっと心配しておられるだろうし……合流したあとは、まず俺がしっかりと叱られるから」
首皇子はそう言って、どこか愉快そうに口元をほころばせた。こんなふうに笑う彼を見るのは、どれほどぶりだろうか。
(し、信じられない……)
安宿媛は、この状況にひどく困惑しながらも、元々の原因は自分にあると思うと、何も言い返すことができなかった。結局のところ、今は首皇子の判断に従うしかない。彼女は覚悟を決めるように、小さく息をのみ込んだ。
その後まもなく、従者たちが水と食料を抱えてこの場へ戻ってきた。
水と食料の入った荷は、丈夫な麻布で何重かに包まれ、その上から太い麻縄でぎゅっと括られていた。
従者たちは荷に麻縄をしっかりと巻きつけ、慎重に崖の下へと降ろしてくれる。二人はそれをそっと受け取る。
荷をほどくと、中には炊いて乾かした干し飯と、軽く煎った米、塩気のきいた干し肉、そして水の入った木の筒が収められていた。
どれも旅の非常時に備えて用意された、簡素ながら体を支えてくれる品々だ。
(良かった……これなら大丈夫そう)
二人は必要な分だけを手早く分け合い、それぞれ小さな袋に収めると、歩きやすいよう腰や肩に結びつけた。
「よし、水と食料も届いたことだし、このまま先を行くとしよう」
そう言うと首皇子は、安宿媛へそっと手を差し伸べた。危険の多い道を進む以上、できるだけ離れず歩くべきだと判断したのだろう。
突然差し出されたその手に、安宿媛は思わず胸がどきりとした。だが、この状況では断る理由にはならなかった。
「は、はい、首皇子」
安宿媛は、少し緊張した趣きで、その手をそっと握り返した。その瞬間に彼の手の温もりがじかに伝わってくる。
こうして、二人はそのまま獣道へと足を踏み出した。
足元は細くて狭い、不安定な道だったが、首皇子の手がそばにあるだけで、不思議と彼女の心は落ち着いた。
天皇一行の歩く道と、この細道がどこかでつながっているのなら、いずれ従者たちや他の者たちとも再び合流できるはずだ。
(まぁ、そこまで大きな山でもないし……お父さまたちも、きっと私たちの動きを気にかけながら進んでおられるはず。だったら、そこまで心配しなくても大丈夫よね)
安宿媛がそんなことを考えながら歩いていると、ふと気づいた。
一歩前を進む首皇子が、思っていた以上に生き生きとした面持ちで歩いているのだ。その姿が、彼女には少し意外に思えた。
どうやら二人を案じた従者たちが、心配して探しに来たようだ。遠くから草をかき分けるような音も混じり、こちらへ近づいてくる気配がじわりと迫っていた。
「おい!俺たちはここだ!!」
首皇子は安宿媛をしっかりと抱き寄せたまま、思いきり声を張り上げた。その声は周囲に大きく反響したのか、従者たちの耳にもすぐ届いたらしい。
彼らは驚いた様子で、声のした方へと急いで駆け寄ってきた。
「首皇子、無事ですか!!」
やって来た従者たちは、思わず崖下をのぞき込み――そのまま言葉を失った。二人が落ちた先は、上から手を伸ばして助けられるような場所では到底なかった。
「俺と安宿媛が落ちてしまったんだ。だが、幸い二人とも大きな怪我はなく、心配はいらない」
「そ、そうでしたか。本当に良かったです。ですが……その、ここからお二人を引き上げるのは、かなり難しいかと」
安宿媛は、従者の言葉を聞き、思わず首皇子のほうへ視線を向けた。
首皇子もふと黙り込み、斜面の上を見上げている。どうやら従者の言うとおり、ここから登るのは容易ではなさそうだった。
安宿媛にも、それは一目で分かった。首皇子一人ならともかく、二人で無理をすれば、また滑り落ちかねない。
首皇子もそのことを理解しているのか、彼の眉がかすかに寄った。
その表情を見た安宿媛は、一瞬胸がざわめくのを感じた。
「幸い、この先は獣道へと続いているようだ。だから俺たちは、この道を通って先へ進むことにする。お前たちとは、その先でうまく合流できるようにしよう」
「え、お二人で進まれるのですか?」
「あぁ。だから――まずは水と食料を、ここに下ろしてくれないか?」
従者たちは、その言葉に思わずぎょっとした表情を浮かべ、互いの顔を見合わせる。そして短く意見を交わし合ったのち、再び首皇子たちのほうへ向き直り、慎重に口を開いた。
「わ、分かりました。天皇と、それから不比等様にもこの件はすぐにお伝えいたします。水と食料も、急ぎこちらへお持ちいたします」
そう言うと、従者のうち数名が伝言を届けるため、慌ただしく駆け戻っていった。
安宿媛は、首皇子にしがみついたまま、その光景をただ呆然と見送っていた。まさか首皇子がこのような判断を下すとは、全く想像できなかった。
「首皇子、本当にこのまま進むおつもりですか?」
「ああ。それがおそらく最善の方法だと思う。お祖父さまも、きっと心配しておられるだろうし……合流したあとは、まず俺がしっかりと叱られるから」
首皇子はそう言って、どこか愉快そうに口元をほころばせた。こんなふうに笑う彼を見るのは、どれほどぶりだろうか。
(し、信じられない……)
安宿媛は、この状況にひどく困惑しながらも、元々の原因は自分にあると思うと、何も言い返すことができなかった。結局のところ、今は首皇子の判断に従うしかない。彼女は覚悟を決めるように、小さく息をのみ込んだ。
その後まもなく、従者たちが水と食料を抱えてこの場へ戻ってきた。
水と食料の入った荷は、丈夫な麻布で何重かに包まれ、その上から太い麻縄でぎゅっと括られていた。
従者たちは荷に麻縄をしっかりと巻きつけ、慎重に崖の下へと降ろしてくれる。二人はそれをそっと受け取る。
荷をほどくと、中には炊いて乾かした干し飯と、軽く煎った米、塩気のきいた干し肉、そして水の入った木の筒が収められていた。
どれも旅の非常時に備えて用意された、簡素ながら体を支えてくれる品々だ。
(良かった……これなら大丈夫そう)
二人は必要な分だけを手早く分け合い、それぞれ小さな袋に収めると、歩きやすいよう腰や肩に結びつけた。
「よし、水と食料も届いたことだし、このまま先を行くとしよう」
そう言うと首皇子は、安宿媛へそっと手を差し伸べた。危険の多い道を進む以上、できるだけ離れず歩くべきだと判断したのだろう。
突然差し出されたその手に、安宿媛は思わず胸がどきりとした。だが、この状況では断る理由にはならなかった。
「は、はい、首皇子」
安宿媛は、少し緊張した趣きで、その手をそっと握り返した。その瞬間に彼の手の温もりがじかに伝わってくる。
こうして、二人はそのまま獣道へと足を踏み出した。
足元は細くて狭い、不安定な道だったが、首皇子の手がそばにあるだけで、不思議と彼女の心は落ち着いた。
天皇一行の歩く道と、この細道がどこかでつながっているのなら、いずれ従者たちや他の者たちとも再び合流できるはずだ。
(まぁ、そこまで大きな山でもないし……お父さまたちも、きっと私たちの動きを気にかけながら進んでおられるはず。だったら、そこまで心配しなくても大丈夫よね)
安宿媛がそんなことを考えながら歩いていると、ふと気づいた。
一歩前を進む首皇子が、思っていた以上に生き生きとした面持ちで歩いているのだ。その姿が、彼女には少し意外に思えた。



