そして佐由良が部屋を出ていくと、それと入れ替わりで、稚田彦(わかたひこ)が入って来た。

「今まで佐由良が来てたんですね」

「あぁ、そうだ」

 瑞歯別皇子(みずはわけのおうじ)は思わず腕を伸ばして、言った。

「ちょっと時間が出来たので、皇子に会いに来たんですが、佐由良はまだ采女のままなんですね」

「仕方ないだろう。俺は早く妃にしたいんだが、あいつがまだ暫くは采女として働きたいと言ったんだ」

 それを聞いた稚田彦は驚いた。 

「へぇー、あれだけ妃選びを嫌がってた皇子が。人とは変わるものなんですね。でも何故そんなに后にこだわるんですか?」

 皇子は稚田彦にそう言われ、ひどく言いにくそうにしながら言った。

「それは、雄朝津間(おあさづま)の奴が……」

「え、雄朝津間皇子?」

 稚田彦はふと不思議に思った。

「あいつは以前、俺の前で堂々と佐由良を妃にしたいと言って来たんだぞ」

「へ?皇子、それって」

 瑞歯別皇子はかなり分が悪いようで、ムスっとした。

「つまり、皇子は弟の雄朝津間皇子に先を越され事を根に持ってるんですね」

 そう言って稚田彦は、クスクス笑いだした。

「あいつは、俺が言えなかった事をサラッと言いのけたんだ。そんな状況で佐由良を振り向かすには、始めから妃にするしかないだろう。
 それに后にさえしてしまえば、今度こそ誰にも取られないと思ったんだ。それなのに佐由良のヤツ……」

「分かりましたよ。皇子の言いたい事は」

 尚も稚田彦は笑っていた。どうやらこの皇子の発言はかなりツボにハマったらしい。

 暫くして稚田彦はやっと笑いが収まった。

「でもまぁ、皇子がそうやって一人の女性を大事に思うようになった事は、本当に良かったと思いますよ」

(まぁ、確かに。佐由良のお陰で自分は大分変わったような気がする)

 それから2人は外を眺めた。

「もう少ししたら夏ですね」

(今年の夏は少し遠出してみても良いかも知れない)

 瑞歯別皇子はそう思いながら、今後の事に想いを募らせた。