炊屋姫(かしきやひめ)様にお仕えできて、私も本当に嬉しく思っております。だからこそ、これからも精一杯務めていきたいです!」

 稚沙(ちさ)はとても真剣な表情でそういった。故郷の家族を説得し、やっとの思いで女官としてここ飛鳥の都にきたのだ。そう簡単に引き下がる訳にはいかない。

 炊屋姫と厩戸皇子(うまやどのみこ)は、そんな必死で話す稚沙を目にして、互いに顔を合わせてクスクスと笑った。

 2人とも何だかんだで、稚沙のことは信頼している。きっと彼女なら、いつの日か立派な女官に成長することだろう。

「さて、厩戸も来たことだし。後は馬子(うまこ)だけね。彼はもう宮にきてるのかしら?」

 炊屋姫は、どうやら大臣(おおおみ)である蘇我馬子(そがのうまこ)の到着を待っているようだ。

「馬子様なら、先ほど見かけました。もしかすると(ちょう)に寄られてから、こちらに向かわれるのかもしれません」

 稚沙は先程見かけた蘇我馬子達をふと思い出す。彼らは炊屋姫のいる大殿(おおとの)ではなく、庁に向かって歩いてるように見えた。

「まぁ、馬子ったら。時が押してるから、まずは私の元にきてもらいたかったわ。てっきり小墾田宮(おはりだのみや)にまだ到着してないものと思うじゃないの」

 炊屋姫少しやれやれといった感じだ。

 蘇我馬子の持つ権力はこの時代とても絶大だった。また炊屋姫の母親である堅塩媛(きたしひめ)は馬子の姉にあたる。つまり彼女からすれば馬子は叔父でもあるのだ。

 そんな事を彼女が思っている矢先、何やら誰かの足音が聞こえてくる。

 3人がふとその音のする方に目をやると、何と今話に出てきていた蘇我馬子本人だった。

 彼は炊屋姫達をめがけて、そのまま真っ直ぐやってくる。そして彼の後ろには、先程稚沙が見かけたあの青年も一緒である。

「炊屋姫、遅くなってしまって済まない。少し庁に用があったものでな」

 蘇我馬子は炊屋姫の前に来ると、軽く頭を下げて挨拶をした。後ろの青年も馬子に続けて同じように頭を下げる。

「もう、まだあなたが到着してないのかと思って心配していたのよ」

 炊屋姫は少し嫌みたらしくして答える。いくら彼が叔父にあたるといっても、炊屋姫と馬子の年齢差は7歳程しか離れていない。

「いや、それは本当に申し訳ない。今日は大事な行事の日だ。少し庁によって確認したい事があったのだ」

 そうはいっても、蘇我馬子は余り悪びれた感じがしない。それが彼と炊屋姫達の今の立場を表しているようでもあった。

「ところで馬子殿、今日は身内の方も連れられていたのですね。確かあなたの甥でしたか……」

 厩戸皇子はふと馬子の後ろにいる青年に目を向ける。
 それまで口を閉ざしていた青年は、急に厩戸皇子に話を振られたため、さっと馬子の横に出てきた。

「私の甥にあたる蘇我椋毘登(そがのくらひと)です。今年で16歳になったので、そろそろ政にも関わる機会をと思いましてな。それで本日は同伴させた次第です」

 蘇我馬子はそういって、椋毘登と呼ばれたその青年に挨拶するよう催促する。

 すると彼は手を前で揃えてから、軽くお辞儀をし、そして彼らに話した。

「炊屋姫、厩戸皇子、本日は勝手な訪問になってしまい、申し訳ございません。私は蘇我馬子の甥で椋毘登と申します。おニ人方とは、今後お会いすることも多くなるかと」

 椋毘登がそう挨拶すると、それを聞いていた厩戸皇子は、馬子の甥にあたるその少年を、何やらとても興味深くして見る。

「椋毘登、君のことは昔何度か見た事がある。私の妃の1人である刀白古朗女(とじこのいらつめ)は、確か君とは従姉妹同士のはずだ。それにしても、あんなに小さかった男の子がもうこんなに大きくなっていたとは……」