蝦夷(えみし)殿、この子に草を少しやりたいので、ちょっと取ってきますね」

「あ、待て!それぐらいなら、俺が取ってくる」

 そういって彼は急いで厩に行き、馬の餌になる草を取って戻ってきた。

 そしてその草を馬の前においてやると、馬は美味しそうにしながら、モグモグと草を食べ始める。

 稚沙(ちさ)はそんな馬の様子にとても安心し、そのまま側でとても嬉しそうにしながら眺めている。

「うふふ、とても美味しそうに食べてる。後でお水も与えないと」

 一方蝦夷も、そんな彼女の様子が何とも微笑ましく思えた。そして何故だか、彼自身そんな光景を見ていて、とても心が安らぐ感じがする。

「さっき額田部の生まれといっていたが、馬には相当なれているみたいだな?」

 蝦夷は稚沙にそういうと、そのまま彼女の横に歩み寄ってきた。

「はい、実家が馬の飼育に携わってますので。なので私自身も、小さい頃から馬と一緒に育ったようなものです。それよりもこの馬、今日初めてこの宮に来たんじゃないですか?」

 彼女が見た感じでは、この馬は比較的若い馬のように見える。なのでまだ、こういった場所に慣れていないのかもしれない。

「あぁ、実はそうなんだ。前に乗っていた馬が最近亡くなってね。それで今日はこの馬で来ることにしたんだ。性格もわりと大人しく、蘇我の住居付近では難なく乗りこなせていたから、大丈夫だとは思ったんだが……」

「恐らく初めてきた場所だったので、少し怖くなってしまったんでしょうね。馬はこう見えてとても臆病な生き物なんです」

 稚沙はそういいながら、馬の首を撫でてやった。馬も彼女に撫でられてとても嬉しそうだ。

「へぇー、君は本当に馬が好きなんだな」


 そして2人は、そのまま馬が草を食べ終わるのを待つことにした。

 そして馬が草を食べ終わると、蝦夷がある提案を彼女に持ちかける。

「そうだ!これからこの馬に乗って、この付近を走ってみようと思っていたんだ。良かったら君も一緒に行かないか?」

「え、私がですか?」

 今は確かに休憩時間でもあるが、彼女はその時間を使って厩戸皇子に会いにいこうとしていた。

「あぁ、もし他の者に何かいわれたら、俺に付き合わされたと説明したら良い。もしそれが難しいなら、俺が直接宮の連中に説明してやるよ!」

(どうしよう、相手はあの蘇我馬子の息子だし。それに久々に馬に乗って走ってみたい気もする)

「分かりました。では蝦夷殿にご一緒させて頂きます」

 結局彼女は、馬に乗りたい誘惑に勝てず、彼についていく事にした。

「あぁ、そうしよう。それと俺のことは蝦夷と呼び捨てで構わない!」
 蝦夷はとてもニコニコしながら、彼女にそう話した。

「はぁ、そうですか……ではそのようにします」

 その後2人は馬にたくさんの水を飲ませてやった。そしてそれが終わると馬に乗り、そのまま宮の外へと走り出していった。