一方の稚沙(ちさ)は、山積みになっていた仕訳の仕事を、厩戸皇子(うまやどのみこ)に会いたい一心で何とか終わらせる目処が立ってきた所だった。

「良かった、これなら大丈夫そう。それにそろそろ休憩の時間だし、厩戸皇子を探しに行こう!」

 こうして彼女は厩戸皇子を探すために、嬉しそうにしながら部屋の外へと出ていった。


「うーん、厩戸皇子がいない……」

 その後彼女は、宮内をあちこち歩き回って厩戸皇子を必死に探すも、中々彼を見つけられないでいる。

(うーん、もう小墾田宮(おはりだのみや)には既に来られてるはずなんだけど)

 稚沙がどうしたものかと、思い悩んでいる時だった。何やら(うまや)の方から騒がしい声がきこえてくる。

「あれ、馬が暴れてるみたい。どうしたんだろ?」
 
 稚沙はどうも厩の方が気になったため、一度そちらの様子を見に行ってみることにした。


 彼女が厩の側に行ってみると、厩の外で1頭の馬が暴れていた。そして手綱を持った男性が、その馬を何とか必死で押さえようとしているのが見える。

 だが馬がかなり興奮気味のためか、中々思うようにいっていないようだ。

(わぁ、これは大変!早くあの馬を落ち着かせないと!!)

 稚沙はすぐさまその馬と手綱を持っている人の元に向かった。

 そして相手の顔を見るなり、彼女は思わず驚く。その手綱を持っていた男性は、何と彼女が今日出会った、あの蘇我蝦夷だった。

「え、蝦夷殿、大丈夫ですか!」

 蝦夷も急に声をかけられて、思わず彼女に振り向いた。

「君は確か今日見かけた……とりあえず、この馬がひどい暴れようだ。君は危ないから、こっちに来るんじゃない!」

 だがそうはいっても、このままだと蝦夷自身も危ない。それほどまでにこの馬は酷く興奮している。

「蝦夷殿、私は平群の額田部の生まれの者です。なので馬の扱いには慣れてます!」

 彼女はそういいながら、彼の側までやってくると、一呼吸してから馬に声をかけだした。

「ほら、ほら、良い子だから。落ち着いてちょうだい……」

 稚沙はゆっくりとした口調で、その馬に声をかける。
 そして彼女が何度か繰り返し話していると、馬の方もだんだんと落ち着きを取り戻しはじめた。

 その様子を見た彼女は、今度は馬の首や背中を軽くたたいてやった。

「そうそう、ちょっと怖い思いでもしたのかな?本当にごめんね……」

 そして尚も彼女は馬に声をかけ続けた。

 すると馬の方もすっかり冷静さを取り戻したようで、思わず彼女の顔をペロペロと舐め出す。どうやら稚沙に対してひどく安心したようだ。

「やだ、くすぐったい!あなた意外と甘えん坊さんなのねー」

 だが稚沙は、特に嫌がる素振りをみせず、笑いながら馬にそのまま舐められていた。

 そんな光景を、蝦夷はただただ呆然として見ていた。

(まさかこんな簡単に、馬を落ち着かせるとは……)