炭にマッチで火を付け、灰の上に置いて、少し待つ。おこった炭を灰に浅く沈めて、灰を温める。充分温まったらそこに香木を乗せて、焚いていく。
少しするとそこから、ゆらゆらと煙が出始めた。が、肝心の香りは全く感じられない。香木というのは、予想したより香らないものなのか。それともわたしのやり方が間違っていたのか。古すぎて悪くなってしまったのか。むしろ、これは本当に、香木だったのか……。
疑問ばかりが募り、香炉に顔を近付ける。やっぱり香りはない。その代わりに煙はどんどん大きくなり、少しけむたい。
お世話になっている祖父母宅の一室に煙を充満させるわけにはいかない。窓を開けようと腰を上げた、そのときだった。
部屋に充満していた煙が集まっていく。香炉に向かってしゅるしゅると。何かの形を作るように。
あまりのことに驚いて、中腰のまま、その煙の行方を見つめていた。
その煙は次第に人の形になり、人の形は次第に色付き始める。そしてものの数分で、ひとりの男性の姿が浮かび上がったのだった。
男性は着物姿だった。頭には髷があった。涼やかな目をした、優しそうな雰囲気の人だった。煙の中の男性は、わたしの姿を見つけると微笑み、こう言った。
『やっと、使うてくれた』
穏やかなその声を聞いた瞬間、わたしの意志ではない涙が、濁流のように流れ出す。「わたし」はこの着物の男性を知らない。だから親しげに声をかけられる理由も、涙を流す理由もないのだ。
けれどわたしは、涙の理由が解った。悲しみ、喜び、親愛、渇望、念願……様々な感情が、抱えきれないほど胸に溢れているのだ。
それを全て包み込むような優しい声で、煙の中の男性は『ついておいで』とわたしを促し、煙の中に消えた。残された煙は意志を持っているかのようにふわふわと動き出す。わたしは手の甲で乱暴に涙を拭い、何も考えず、その煙の後を追ったのだった。