アマサトの前を辞し、水宮に戻る。自室へ戻るというミツハに、新菜も宛がわれた部屋へ戻った。新菜にお茶を持って来てくれたチコの盆にもうひとつ湯呑があったので、ミツハのものだなと見当をつける。
「チコさん。ミツハさまの分、私が持って行ってはいけないでしょうか? お尋ねしたいことがあるのです」
そう言うと、チコは快く代わってくれた。ミツハの部屋の前で声を掛け、部屋へ入る。
「新菜か。疲れてはいないのか」
「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
ミツハの前に茶を置いて、卓を挟んで斜め横に座る。
「……あの、ミツハさま」
なんだ、と返すミツハの表情はどこか緊張している様子だ。
「鈴花の事……、どう思われますか……」
ナキサワは、神と巫女の関係を『神の名を呼ぶ声に、神は応じ、巫女と契約する』と言った。神事で神の名を呼ぶ必要があるなら、ミツハの言う三年前に新菜がミツハに名を与えてしまって以来、天雨神の名は変わっている。それを知らずに、鈴花は今も舞い続けている。既に地の民を見限っているから、三年の間、鈴花に何の反応もしなかったのか。それとも……。
「彼女と契約出来んのは契約に必要な名の所為だが、地の民がその被害を被っていると思うとやり切れん思いはあるよ……」
やはり。
ミツハはそんな非情なことを考える人ではなかった。
鯉黒の話をした時の、ミツハの表情を思い出したからだった。あの時、言葉で地の民を突き放すようなことを言っておきながら、実に言葉にするのが辛い、といった苦悩を滲ませていたのだ。
言霊の力を使わなくても、思っていることは言葉にすることでそれが当人にとって、周りにとって、事実となることがある。だから言葉は慎重に選ばなければならない。ミツハはあの時、……いや、これまで何度もきっと、地の民を見限ろうとして出来なかったのだろう。そう仕向けようと、ミツハはあの言葉を選んだ。でも、ミツハ自身も、チコも鯉黒も、それが偽りの言葉だと良く知っている。……ミツハが本当の本心を心から語れる相手でありたいと、新菜は思う。それには。
「では、ミツハさまにとって、私はまず、真の巫女にならなければならないですね……」
ミツハを救うためにも、鈴花の無念を引き継いだ巫女にならなければならない。この三年、ミツハは苦しい思いをして来たと思うから。
きゅっと手を握る。一瞬ミツハは瞠目したかと思うと、その次の瞬間にはふっと体の力を抜き、そしてやわらかく微笑んだ。小さな息を漏らしたかもしれない。
「……君は強いな。もがくさなぎかと思ったら、もう海を越える蝶のようだ」
吐息に載せるようなその言葉は、思えば出会ってからのミツハには見つけられなかった、気が緩んだ瞬間のようにも思えた。新菜がミツハの為に決意したからだろうか。だとしたら、新菜は少しだけ、ミツハの憂慮を払うことが出来たのかもしれないと思うと嬉しかった。
「いいえいいえ、そのようなことはありません。すべてはミツハさまとお会いしてから。ミツハさまが私をお救い下さった所以です」
だって、前の新菜には何もなかった。巫女として舞う喜びも、ミツハを助けたいと思う感謝の気持ちも、言霊の力で繋がれてよかったと思う心の震えも。
全てはミツハに出会ったから。ミツハが、新菜を見つけてくれたからだ。
「ですから、お返しさせてください。雀の涙ほどの恩返しになりますが」
そんなわけあるか、とミツハは笑った。