「先ほど新菜殿の首元にあったあれは、ミツハさまの鱗珠(りんじゅ)ですな。また大層なものを人間にお与えになった」

長い顎鬚を撫でながら目を光らせてヤマツミが言う。ナキサワは、へえ、あれが、と興味深そうにミツハを見た。一方ミツハは鋭い眼光で、それがどうした、と返す。

「新菜は私の花嫁だ。それくらい当然だろう」

「いやいや、人の子は善悪入り混じるが故の愚かさもありますでな。我ら心配してのことでございます」

好々爺然たるヤマツミの笑みに、しかしミツハの表情は緩まない。

「鈴花でもあるまいし、そなたらの心配は杞憂だ」

「鈴花は良い娘じゃて。貴殿の穴を埋めるべく、必死に我らに契約を持ちかけて来ておる。鈴花こそ、地の民を憂う真の巫女姫であると、我らは思うておりますよ」

「鈴花の人となりを知ってもか」

「そもそも我ら神と巫女との契約は、ナキサワの言う通り、巫女の呼びかけを受けた我らが巫女に声を届けるかどうかだけの筈。人となりを知って、どうなさろうというおつもりか」

ヤマツミの言葉に、いや、僕は興味ありますね、とナキサワが言った。

「ナキサワ?」

「ミツハさまがそれ程までに入れ込む花嫁殿がどのようなお人柄か、僕は気になります。改めてご挨拶させて頂いても?」

「許すわけなかろう」

ミツハの即答に、だと思いましたよ、とナキサワは肩をすくめて悪びれない様子だ。

「まあいいです。機会を作って頂かなくても、偶然、というのはありますからね。あんなかわいい人だったら、僕も契約の祈りを待ちたいところですよ」

パシャっと。

ミツハがナキサワに茶を掛けた。苛立っていたのだ。飄々とした、この青年神に。

「チコ! 客人がお帰りだ。見送りなさい」

荒々しくチコを呼びつけるミツハに対して、あくまでも余裕を崩さないナキサワは笑った。

「やあ、これはとんだご挨拶だ」

「おぬしから新菜について語られるのは我慢ならん。早々に立ち去れ」

「良いんですけどね、僕はこのまま帰っても。……でも日頃、天神さまたちに向けられる何十倍もの祈りを、僕たちは民から聞いてる。信心は力ですよ。僕の井戸の取水口の上流の湖は寂しいほどに寂れている。民に忘れられた神がどうなるか、……答えは一つですよね?」

ふふふ、と手で口を覆ったナキサワの胸倉をカッとなって掴むミツハを、チコが止めた。

「ミツハさま! お立場が違っても神同士で争いは駄目です。ナキサワさま、一柱の神の消滅が地の民にどれ程の影響を与えるか、ご存じで発言していらっしゃいますか!?」

「かわいらしい童が仲裁かい? 勿論知っているよ。だからこそ、我々は力を合わせるべきだと、僕は考えているけどな」

「そのような意図は感じられなかった。今後は言葉を選ぶがいい」

ギロッと睨むミツハに、やはりナキサワは余裕の表情を崩さない。

「手痛いご指導、痛み入ります。ヤマツミさま、帰りましょう」

「うむ。……ミツハ殿、重々お考え下さい。今のままではミツハ殿の将来がないですぞ」

では、御免。

そう言って二人は応接間を出た。畳を睨みつけるミツハは、己の膝で握っていた拳に爪が食い込んでいたことを滲んだ血で知った。

(情けない……)

新菜に言った通り、天神と謳われてはいるがその実、文明が発達した昨今、天神に対する信仰は、空気のように当たり前のものとして薄れていっている。思い出されるのは祭事の時くらいのものだ。それに比べて末の神たちは地の民の生活の端々で毎日生き続けている。信仰心の圧倒的な差。それが現在、天神と末の神の間にあった。しかし。

(新菜が……、彼女さえ居てくれれば何とかなるかもしれないのだ……)

それだけに早く新菜と契約を結びたかった。しかし人の子の造りの危うさを知ったからこそ、無理は出来ない。
ミツハは祈る気持ちで新菜の記憶が戻ることを待っていた。