「人の世で言う三年分、私に君を愛させてくれないか。いっとき千年の神(わたし)の身でも、君を待ち焦がれる時間は長かった。君の記憶を奪ってしまった償いをさせて欲しい。償えたらば、その時に雨を降らせようじゃないか」
新菜は悩んだ。常に人に傅く立場だったから、人から何かをされることに慣れていない。しかしミツハは頑なに贄としての新菜を受け入れてくれないし、新菜は宮奥(ここ)から現世への帰り方も分からない。
本当に。
本当に、信じていいのだろうか。
母亡きあと、あの家に住まわせてくれた父親が自分を贄として差し出した時のように、まるで要らない手駒のように扱われたら、新菜は今度こそ生きる希望を持てなくなる。
しかし真剣なまなざしで言われて、新菜には頷く事しか出来ない。新菜が頷けばミツハは五月の風のように爽やかに微笑んで、その小指を差し出した。
「約束しよう、我が巫女姫。必ずやその傷を癒してあげようじゃないか」
差し出された小指に、あかぎれだらけの小指を絡める。絡まって温度が伝わると、小指のあかぎれはふうわりと淡い光となって消えた。
「!? 神さまのお力ですか? これは!?」
「そうだね。君の心の傷もこのように綺麗に消してあげたい。しかし人の心は繊細なもの。私は幾重にも手を尽くすと約束するよ」
美しいかんばせで微笑まれて、ここ久しく笑みを向けられたことのない新菜はうろたえた。自分は人に笑みを向けてもらえるような人間だろうか。そんな考えが浮かんで俯く新菜に、ミツハはやさしく声を掛けた。
「我が巫女姫。君の負ってきた傷はよほど深いと見える。その境遇に身を置かざるを得なかった君を、哀れに思うよ。しかし今日から君は、これまでと違う道を歩むのだ。そのように俯いてはいけない」
顎を持ち上げられて、首を上げさせられる。正面に穏やかな笑みを浮かべたミツハが居て、新菜はその美しさに鼓動を早くした。
「でも私……」
何も出来ない身で、施しを受けるわけにはいかない。ミツハに愛させてくれと言われたけど、やはり何かせずにはおれない。そういう風に生きてきたから、ただただ尽くされるのは身の置き所がない。新菜はみたび、ミツハに申し出た。
「やはり私に役目をくださいませ、ミツハさま。地の民の役に立てていない今、地の民に尽くす天雨家で育った私としては、なにかミツハさまのお役に立てることがしたいのです……」
強情な新菜に困ったように笑うミツハに、傍に仕えていたチコが申し出る。
「ミツハさま。花嫁さまのお心を軽くして差し上げるのも、ミツハさまのお役目。宮内の軽いお仕事なら私もお手伝い出来ますし、……どうでしょうか?」
チコの口添えで、しぶしぶミツハが頷く。その拗ねた様子のミツハに、新菜はおや? と思う。ただただ神々しいばかりの穏やかな神さまかと思っていたが、意外と子供っぽい所があるのかもしれない。
「仕方ない。新菜がそう言うのなら、今日から時々チコたちと過ごすがよい。だが新菜、この宮の主は私だ。私のことを放っておいてはならん」
やはり自分の立場を誇示して放っておくなと言うところなどは、子供が駄々をこねるような感じに見えて微笑ましい。その考えにほわりと笑みを浮かべれば、ミツハは驚いたように喜んだ。
「いや、新菜。やはり君は笑っていた方が良い。出来ればずっと私の傍で笑っていて欲しい。……しかし、今、どうして君は笑ったのだ?」
ミツハの言葉で笑ったことに気付いた新菜は、顔を青くして謝罪した。
「いえ! 神さまを笑うなどと、大変不敬なことを……! 申し訳ございません」
「いやいや。君が笑う種になるなら、私をいくらでも提供しようじゃないか。君の笑みは宮を明るくしてくれるよ。もっと笑って欲しい」
「し、しかし……」
相手は神さま。恐れ多い気がして何事も委縮する新菜に、ミツハはやれやれと肩をすくめた。
「仕方ない。宮(ここ)と私に慣れるまで、チコたちに私のことでも聞けばいい。君がそんなに畏まる相手でもないかもしれぬよ」
ふふっと微笑んだミツハは、何か面白いことを見つけた子供のような目をしていた。
新菜は悩んだ。常に人に傅く立場だったから、人から何かをされることに慣れていない。しかしミツハは頑なに贄としての新菜を受け入れてくれないし、新菜は宮奥(ここ)から現世への帰り方も分からない。
本当に。
本当に、信じていいのだろうか。
母亡きあと、あの家に住まわせてくれた父親が自分を贄として差し出した時のように、まるで要らない手駒のように扱われたら、新菜は今度こそ生きる希望を持てなくなる。
しかし真剣なまなざしで言われて、新菜には頷く事しか出来ない。新菜が頷けばミツハは五月の風のように爽やかに微笑んで、その小指を差し出した。
「約束しよう、我が巫女姫。必ずやその傷を癒してあげようじゃないか」
差し出された小指に、あかぎれだらけの小指を絡める。絡まって温度が伝わると、小指のあかぎれはふうわりと淡い光となって消えた。
「!? 神さまのお力ですか? これは!?」
「そうだね。君の心の傷もこのように綺麗に消してあげたい。しかし人の心は繊細なもの。私は幾重にも手を尽くすと約束するよ」
美しいかんばせで微笑まれて、ここ久しく笑みを向けられたことのない新菜はうろたえた。自分は人に笑みを向けてもらえるような人間だろうか。そんな考えが浮かんで俯く新菜に、ミツハはやさしく声を掛けた。
「我が巫女姫。君の負ってきた傷はよほど深いと見える。その境遇に身を置かざるを得なかった君を、哀れに思うよ。しかし今日から君は、これまでと違う道を歩むのだ。そのように俯いてはいけない」
顎を持ち上げられて、首を上げさせられる。正面に穏やかな笑みを浮かべたミツハが居て、新菜はその美しさに鼓動を早くした。
「でも私……」
何も出来ない身で、施しを受けるわけにはいかない。ミツハに愛させてくれと言われたけど、やはり何かせずにはおれない。そういう風に生きてきたから、ただただ尽くされるのは身の置き所がない。新菜はみたび、ミツハに申し出た。
「やはり私に役目をくださいませ、ミツハさま。地の民の役に立てていない今、地の民に尽くす天雨家で育った私としては、なにかミツハさまのお役に立てることがしたいのです……」
強情な新菜に困ったように笑うミツハに、傍に仕えていたチコが申し出る。
「ミツハさま。花嫁さまのお心を軽くして差し上げるのも、ミツハさまのお役目。宮内の軽いお仕事なら私もお手伝い出来ますし、……どうでしょうか?」
チコの口添えで、しぶしぶミツハが頷く。その拗ねた様子のミツハに、新菜はおや? と思う。ただただ神々しいばかりの穏やかな神さまかと思っていたが、意外と子供っぽい所があるのかもしれない。
「仕方ない。新菜がそう言うのなら、今日から時々チコたちと過ごすがよい。だが新菜、この宮の主は私だ。私のことを放っておいてはならん」
やはり自分の立場を誇示して放っておくなと言うところなどは、子供が駄々をこねるような感じに見えて微笑ましい。その考えにほわりと笑みを浮かべれば、ミツハは驚いたように喜んだ。
「いや、新菜。やはり君は笑っていた方が良い。出来ればずっと私の傍で笑っていて欲しい。……しかし、今、どうして君は笑ったのだ?」
ミツハの言葉で笑ったことに気付いた新菜は、顔を青くして謝罪した。
「いえ! 神さまを笑うなどと、大変不敬なことを……! 申し訳ございません」
「いやいや。君が笑う種になるなら、私をいくらでも提供しようじゃないか。君の笑みは宮を明るくしてくれるよ。もっと笑って欲しい」
「し、しかし……」
相手は神さま。恐れ多い気がして何事も委縮する新菜に、ミツハはやれやれと肩をすくめた。
「仕方ない。宮(ここ)と私に慣れるまで、チコたちに私のことでも聞けばいい。君がそんなに畏まる相手でもないかもしれぬよ」
ふふっと微笑んだミツハは、何か面白いことを見つけた子供のような目をしていた。