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「では、ここは妻であるところの、わたくしシンディーが、主人に代わり音頭を取らせていただきます!」
明け方の大戦から数日後。俺たちは勝利を祝って、打ち上げの場を設けていた。
しばらくは戦にまつわる事情聴取などの後処理で忙しかったが、それも落ち着き、まとまった時間が取れたのだ。
俺の横、シンディーが口上とともにグラスを高く突き上げる。
参加者の全員が好き好きの飲み物を手にして、前に立つ俺たちに注目していた。
その中には、多種多様な亜人も加わっている。
元から村にいた種族だけではない。ウサウサ族や手長族など――。
『白狼の森』に住んでいた種族たちの多くが、クマベア族長・クマリンの誘いもあり参集してくれていた。
種族問わず皆揃って、
「ではでは! この度の勝利を祝すとともに、ディル様の益々なる活躍、テンマの平和を祈ってー…………かんぱーい!!」
シンディーの掛け声に続き、祝杯をあげる。小気味よくグラスの鳴る音と、歓声が同時に響いた。
静寂から一転、普段にもまして村中が沸き立つ。
俺は一口だけ白ワインを含んでから、仲間達の宴を遠目に見やった。『白狼の森』の奥から照らす西日が、それを優しく包む。
本当に、無事でよかった。誰をも殺さずに守れてよかった。そうひっそり安堵していると、ちょこんと肩をぶつけてきたのはシンディーだ。
くねくねっと身体を揺らしているから、いつもの誘惑かと思ったら、違うらしい。ぺこりとその小さな頭をこちらへ下げる。
「ディル様、この度はわたくしを助けてくださり本当にありがとうございましたっ」
「……なんだよ、改まって」
「えへへ、こんな時くらい改まってもいいじゃないですか。本当に救われたんですもの。命だけじゃない、この心も、あなたは救ってくださった」
胸に手を当てるシンディー。向けられた真剣な眼差しに、いつもよりトーンの低い声に、ついどきりとする。
その翡翠の瞳は、まばたきも呼吸も忘れさせた。少し後、俺はつばを飲み込む。
もう彼女を召喚してから数か月が経過しているというのに、一緒に暮らしてさえいるというのに、はじめて見る一側面だった。彼女のおよその年齢を考えれば、不相応なくらい大人っぽく、切なさや思いの丈が詰まっているようだ。
これまで英霊たちには、その過去について、とくに伺ってこなかった。なにかあったとして、それを無理矢理話させるようなことはしたくなかったからだ。
けれど、今のシンディーを見てしまえば、どうしても気になってしまう。彼女たちがどのような過去を送ってきたのか――。
場の雰囲気としても都合がいい。俺が口にしようとしたとき、
「だから、わたくし。これからも妻として、ディル様のおそばにいますっ!! って、きゃあっ、今のよくないですか! 本当のお嫁さん感ありましたよね!?」
シンディーは足を跳ねさせ、上目遣いに小首をかしげてきた。
……うん、憂いを感じたのは気のせいだったみたいだ。もしくは宴会気分のせい。
俺は頭の中に沸き起こった疑問をいったん封印する。一人、かわい子ぶりっ子をはじめたシンディー。
「お嫁さん感ってなんだよ。というか妻にした覚えはないんだけど」
「しましたよーだ。召喚した時点でお嫁さんです、わたくし!」
「だからそれじゃ、回避不能じゃないか」
呪いの契約じゃん、もうそれ。呆れた俺はいったん彼女を置いておくとして、村を回ることとする。
「若様! この度の戦功、聞いたでござる。なんという強さ。なんと末恐ろしい! この分なら、賢君だけでなく軍神にもなれますぞ!」
シラフでこう熱弁するのは、老剣士・バルクだ。その後ろで、元海賊衆の男たち、さらにはクマベア族も、そうだそうだと頷き合う。
「ハッハハッ! やはり、領主様はみなに慕われておりますなぁ!」
族長・クマリンも、骨つき肉にかじりつきながら、豪快に笑っていた。
村が被害ゼロで済んだのも、『白狼の森』での戦が有利に転がったのも、彼らのおかげによるところは大きい。
一人一人に感謝を伝えると、まず海賊たちが泣き出し、それに釣られてだろうクマベア族まで涙を見せる。
……なんというか、いつも大袈裟だ。
続いて俺が話しかけたのは、アリスだった。今朝までは
「お祭り、人たくさん、あたし怖い……」
こんなふうに片言でネガティヴ全開ワードを繰り返していたが、今はもはや別人だ。
飯時こそ、彼女は輝く。一心不乱にご飯を作り、すぐさま提供する。
それをすかさず、キャロットが配膳するという流れができていた。
「少しは休めよー、二人とも」
それを手伝ってやりながら、俺はこう声をかける。だが、
「あら、ディルック様。気遣いは無用よ、うちも、アリスも好きでやってるんだし」
「うんうん! 勝利を祝って空いたお腹を満たすみんなの笑顔を思えば、自分なんて後回し後回し! ディルック様に貢献できるのが何より嬉しいんだ~」
こう返されては、水を差すのも申し訳ない。差し出されたロースト猪肉を、素直にいただくこととする。
「ディルック様こそ、主役は大変でしょ? みんなに引っ張りだこの大人気だもの、さっきから褒められっぱなしだし」
配膳してくれながら、キャロットは揶揄うみたく、ししっと笑った。
「キャロットは褒めてくれないのかー」
だから、こちらも冗談を返したところ、
「そうね。うちは、ディルック様ならこれくらいやると思ってたから、褒めないわ」
「…………そ、そうか」
「本当よ。うちの主人だもの、それくらいしてくれなくちゃ。……なんてね。うん、格好よかったわよ、とびきり。守ってくれてありがとうね」
普通に褒められるより、よっぽど恥ずかしい気分になったのは言うまでもない。
顔が一気に熱くなってくるが、とりあえず酒のせいということにしておく。
「こっちのセリフだって。キャロットの罠にも、村の砦にも、アリスの料理にも助けられたよ。ありがとう」
改めて礼を言って、二人が照れ臭そうに笑うのを見てから、俺はその場を離れた。
その後も村人たちや、来訪者である亜人たちと談笑をする。ドワーフたちとは、次なる魔導具製作の議論も交わした。
そんな賑やかしい空気の中、一際しんみりと食事を楽しんでいたのは、デミルシアン族である。俺がその輪に混じると、
「「ディルック神様!! おぉ、我らの神がいらっしゃりました!!」」
両手を結んで、見上げてくる。……いやいや、めちゃくちゃ人間なんだけどね?
俺は身体を仰け反って、彼らの信仰心十分な視線から逃れる。一歩、二歩とたたらを踏んだところで、勢いよく俺の足元に座り込んだのは、コロロだ。
背筋だけでなく尻尾までぴんと立てて、形式ばった土下座をする。
「ディルック様。改めて我らをこの村にお招きいただき、ありがとうございました。また、こうも早く我が両親を、森をお救いくださるだなんて……! もうどう言えばいいか」
「よしてくれよ、もう仲間なんだ。当たり前のことをしただけだって。顔上げてくれ」
「そう、ですか……。でも、これでは我らの感謝も、我の想いも伝えきれない。かくなるうえは――」
おもむろに、コロロは正座から膝立ちへと姿勢を変える。なんだろうと静観していたら、がばり抱きつかれた。
「ち、ちょっと待て、なんだコロロ!?」
いきなりのことに戸惑う俺とは反対に、彼女は上機嫌らしかった。尻尾を目一杯振り、耳もはためかせて、やたらと身体を擦り合わせようとしてくる。
説明してくれたのは、周りで見ていたデミルシアンの一人だ。
「頬を寄せることが、我らの種族にとって最上級の敬愛を示す行為なのです」
「……いや、でもそれ以外の場所も密着してないか、これ」
「それは求愛行動でございます」
「はぁ?! じゃあ最初からそれを言ってくれ!」