僕は、花音が本当に大好きだった。できることなら、花音に『哀』というモノを教えて欲しかった。

一度でいい、涙というモノを流して見たかったから。

ーーーー『忘却は、よりよき前進を生む』

ニーチェの言葉がふと過ぎった。そして、僕が『哀』を知ることを諦めた瞬間だった。恋人や家族が居なくなっても『哀』がわからない僕は、もはや『哀』を知る術はこの世のどこにもないと思ったからだ。

もう『哀』を知ろうとする事も、花音の事も忘れてしまおう。
今までだって、『哀』を知らなくとも生きてこれたのだから。

僕が、花音が死んだことを聞いて笑ったこと、彼女は、許してくれるだろうか? 

僕は、黒い感情に任せて、目の前の花音の顔をした美咲の首を締め上げていく。

どのくらい力を込めていただろうか?

呼吸の止まった美咲は、目線が定まらないまま、壊れた人形のように動かなくなった。

「え?……」

その瞬間、今まで感じたことがない高揚した気分と、目頭が、奥の方から熱くなる。

込み上げてきた、感じたことのない感情は、言葉にはならずに、丸い粒となり、横たわる美咲の頬に転がり落ちた。

自らの掌で頬に触れれば、間違いなくそれは、あたたかい光の粒で、僕の瞳から溢れている。

僕は、袖で雑に涙を拭うと、夜空を見上げた。

「花音、ありがとう」

僕は、中身は違うが、愛する花音を自らの手で殺めてしまうことで、初めて『哀』を知ったことに気づく。

花音を殺す事で、『哀』を知った僕を、花音は、どう思うのだろう?どんな顔をするだろう?こんなこと、赦されやしないと僕の事を怒るのだろうか。

また、ニヤけそうになる口元を押さえながら、僕は、ゆっくりと歩き出した。