「で、大学進学と同時に、こんなところとは、おさらばってわけか」
「大学には行かない」
話を聞いていた暁が総括すると、咲耶は間髪を入れずに返した。
「結婚するの、明日」
さらに咲耶が続けた内容は完全に予想外のもので、暁はわずかに眉をつり上げる。
「その顔から察するに、お前自身が望んだ結婚じゃなさそうだな」
「そう。どこかの不動産会社の社長さんらしいよ。私より二十歳以上も年上の」
どこか他人事のように咲耶は話す。その表情は悲哀を通り越してなにかを諦めたものだった。相手は伯母の夫と仕事の関係で付き合いのある男だ。名前を中村と言う。
中村はそれなりに大きい会社を経営しているが、容姿にも性格にも難があり異性とはまったく無縁な人生を送ってきた。周囲には年齢もあり絶えず結婚願望も伝えていたが、社長と言う立場を差し引いても紹介される女性はほぼおらず、四十歳になる彼は焦っていた。
中村自身はともかく会社は魅力的だ。夫の会社との繋がりを強固にするため、公子は夫と共に中村と会った際に、咲耶の存在をほのめかしたのだ。
両親を亡くし、うしろ盾のなにもない彼女をぜひ救ってやってほしいとお願いする形で。それは中村の自尊心を満たし、若く美人な妻が手に入ると彼はふたつ返事で喜んだ。
その事情をすべて後から聞かされた咲耶はもちろん反抗した。結婚なんて冗談じゃない、ましてやそんな男性と。大学を出て就職し自立するのが咲耶の願いであり、亡くなった両親への孝行だと思っている。
大学も奨学金や特待生制度を使って進学するつもりだった。咲耶の成績なら授業料全額免除も可能だ。迷惑はかけないと説得する咲耶を公子は鼻で笑った。
「ここまで育ててやった恩を返せ、だって。この縁談を断るなら、お母さんが入院したときの費用を含め、今まで私にかかったお金を今すぐすべて返せって言われて……」
咲耶は公子の台詞を思い出し、自嘲的な笑みを浮かべ呟いた。
そんなのは無理に決まっている。お金なら大学に進学して、就職してから少しずつ返すと話した。しかし公子は納得せず、さらに条件を出してくる。
「この縁談を受けたら、お母さんを此花家の一員として認めて、お父さんと同じお墓に入れてくれるって言うから」
母の遺骨は父と同じ墓には入れてもらえず、咲耶が持っている。両親の写真と母の遺骨に毎日、手を合わせるのが日課だがこのままではいけないと思っていた。
そもそも大学の進学や奨学金など、諸々の書類には保護者の同意が必要だ。それらをすべて認めないと言われ、どうしようもなくなった。
一通り話し終え、沈黙が降りてくる。なぜ得体のしれないこの男に身の上話をしたのか。今まで誰にも語ったことはなかったのに。
不思議な気持ちに包まれながらも、どこかすっきりしている自分もいた。
「あなたが今の私を見て不幸だと思うのなら、よかったわね、としか」
咲耶はわざとらしく肩をすくめ、暁を見遣る。彼は眉をひそめたままだった。
「それでもお前は自分が不幸ではないと言い張るのか」
呆れたように暁が漏らし、それを受けて咲耶はふと真面目な顔になる。
「“今あるものを大切にして、前を向いて感謝しながら生きていく”母からの大事な教えなの」
父が亡くなってから短くはあったが、母とふたりで生きてきた。悲しくはあったが不幸ではない。母が亡くなってからも――。
「もしかしたら相手の人が意外にいい人で、おしどり夫婦になれる可能性だってあるかもしれないし」
わざと茶目っ気混じりに、結論づける。未来への希望を捨ててはいけない。生きていたらきっといいことがある。そうやって咲耶はこれまでも乗り越えてきた。
「くだらないな。そうなるよう祈っているのか?」
「悪神様に?」
間を置かずに切り返され、暁は一瞬言葉に詰まる。その隙に咲耶は彼に笑顔を向けた。
「ありがとう、話を聞いてくれて。なんかすっきりした」
すっかり毒気を抜かれた暁は立ち上がり、咲耶から一歩下がった。
「手足を引きちぎられてもお前はそうやって笑ってそうだな」
「なに、神様なのにそんな野蛮な真似をするわけ?」
さらりと告げられた内容に反射的に返しながら、咲耶は自身を抱きしめた。さすがに肉体的苦痛は受け入れられない。
「神なんて気ままで残酷なやつばかりだぞ」
否定はせず、暁は咲耶を見下ろして妖しく笑う。
「ま、精々自分は不幸ではないと強がるんだな」
それだけ言い残すと彼の姿は咲耶の目の前から忽然と消えた。目の前で起きた出来事を今なら受け入れられる。彼が人ではないのはどうやら本当らしい。
咲耶はどっと気が抜け、再び布団に突っ伏した。
明日は早起きして髪のセットと着物の着付けをされる予定だ。公子が咲耶のためになにかを手配して、それなりのものを用意するのは最初で最後だろう。
ぎゅっと握りこぶしを作って目をつむる。次にいつもの癖で首元のお守りに触れようとしたが、そこにはないと気づいた。
私は……不幸じゃない。
心許ない気持ちになりつつ母と写真でしかほぼ記憶にない父の姿を思い浮かべ、咲耶は必死に自分に言い聞かせた。
「大学には行かない」
話を聞いていた暁が総括すると、咲耶は間髪を入れずに返した。
「結婚するの、明日」
さらに咲耶が続けた内容は完全に予想外のもので、暁はわずかに眉をつり上げる。
「その顔から察するに、お前自身が望んだ結婚じゃなさそうだな」
「そう。どこかの不動産会社の社長さんらしいよ。私より二十歳以上も年上の」
どこか他人事のように咲耶は話す。その表情は悲哀を通り越してなにかを諦めたものだった。相手は伯母の夫と仕事の関係で付き合いのある男だ。名前を中村と言う。
中村はそれなりに大きい会社を経営しているが、容姿にも性格にも難があり異性とはまったく無縁な人生を送ってきた。周囲には年齢もあり絶えず結婚願望も伝えていたが、社長と言う立場を差し引いても紹介される女性はほぼおらず、四十歳になる彼は焦っていた。
中村自身はともかく会社は魅力的だ。夫の会社との繋がりを強固にするため、公子は夫と共に中村と会った際に、咲耶の存在をほのめかしたのだ。
両親を亡くし、うしろ盾のなにもない彼女をぜひ救ってやってほしいとお願いする形で。それは中村の自尊心を満たし、若く美人な妻が手に入ると彼はふたつ返事で喜んだ。
その事情をすべて後から聞かされた咲耶はもちろん反抗した。結婚なんて冗談じゃない、ましてやそんな男性と。大学を出て就職し自立するのが咲耶の願いであり、亡くなった両親への孝行だと思っている。
大学も奨学金や特待生制度を使って進学するつもりだった。咲耶の成績なら授業料全額免除も可能だ。迷惑はかけないと説得する咲耶を公子は鼻で笑った。
「ここまで育ててやった恩を返せ、だって。この縁談を断るなら、お母さんが入院したときの費用を含め、今まで私にかかったお金を今すぐすべて返せって言われて……」
咲耶は公子の台詞を思い出し、自嘲的な笑みを浮かべ呟いた。
そんなのは無理に決まっている。お金なら大学に進学して、就職してから少しずつ返すと話した。しかし公子は納得せず、さらに条件を出してくる。
「この縁談を受けたら、お母さんを此花家の一員として認めて、お父さんと同じお墓に入れてくれるって言うから」
母の遺骨は父と同じ墓には入れてもらえず、咲耶が持っている。両親の写真と母の遺骨に毎日、手を合わせるのが日課だがこのままではいけないと思っていた。
そもそも大学の進学や奨学金など、諸々の書類には保護者の同意が必要だ。それらをすべて認めないと言われ、どうしようもなくなった。
一通り話し終え、沈黙が降りてくる。なぜ得体のしれないこの男に身の上話をしたのか。今まで誰にも語ったことはなかったのに。
不思議な気持ちに包まれながらも、どこかすっきりしている自分もいた。
「あなたが今の私を見て不幸だと思うのなら、よかったわね、としか」
咲耶はわざとらしく肩をすくめ、暁を見遣る。彼は眉をひそめたままだった。
「それでもお前は自分が不幸ではないと言い張るのか」
呆れたように暁が漏らし、それを受けて咲耶はふと真面目な顔になる。
「“今あるものを大切にして、前を向いて感謝しながら生きていく”母からの大事な教えなの」
父が亡くなってから短くはあったが、母とふたりで生きてきた。悲しくはあったが不幸ではない。母が亡くなってからも――。
「もしかしたら相手の人が意外にいい人で、おしどり夫婦になれる可能性だってあるかもしれないし」
わざと茶目っ気混じりに、結論づける。未来への希望を捨ててはいけない。生きていたらきっといいことがある。そうやって咲耶はこれまでも乗り越えてきた。
「くだらないな。そうなるよう祈っているのか?」
「悪神様に?」
間を置かずに切り返され、暁は一瞬言葉に詰まる。その隙に咲耶は彼に笑顔を向けた。
「ありがとう、話を聞いてくれて。なんかすっきりした」
すっかり毒気を抜かれた暁は立ち上がり、咲耶から一歩下がった。
「手足を引きちぎられてもお前はそうやって笑ってそうだな」
「なに、神様なのにそんな野蛮な真似をするわけ?」
さらりと告げられた内容に反射的に返しながら、咲耶は自身を抱きしめた。さすがに肉体的苦痛は受け入れられない。
「神なんて気ままで残酷なやつばかりだぞ」
否定はせず、暁は咲耶を見下ろして妖しく笑う。
「ま、精々自分は不幸ではないと強がるんだな」
それだけ言い残すと彼の姿は咲耶の目の前から忽然と消えた。目の前で起きた出来事を今なら受け入れられる。彼が人ではないのはどうやら本当らしい。
咲耶はどっと気が抜け、再び布団に突っ伏した。
明日は早起きして髪のセットと着物の着付けをされる予定だ。公子が咲耶のためになにかを手配して、それなりのものを用意するのは最初で最後だろう。
ぎゅっと握りこぶしを作って目をつむる。次にいつもの癖で首元のお守りに触れようとしたが、そこにはないと気づいた。
私は……不幸じゃない。
心許ない気持ちになりつつ母と写真でしかほぼ記憶にない父の姿を思い浮かべ、咲耶は必死に自分に言い聞かせた。