母がいたから、もはや十年以上も前になる。俺は初めて、父にとっての自分を疑った。

 「あやかしというのは、どのようなところに多くいるのですか」と尋ねたとき、父は酷く哀しい顔をして、「お前はあやかしのことは考えなくていい」といった。

「なぜです」と粘ってみても、「お前はいいんだ」といわれるだけだった。

 どうして、跡継ぎであるはずの俺になにも話してくれない。考えなくていいなど、そんなことがあろうか。

期待されていないのかもしれない、父は俺のことが好きではないのかもしれない、そういった想像は、一つの可能性に誘われていた。それに気づいたときには、酷く哀しくなった。

 その頃から母の様子が普段と違うと感じるようになった。普通に喋るし、普通に笑うし、なにも違うことはないはずなのだが、たとえば母と瓜二つな別人と接しているような、そんな薄気味悪い感覚がした。

しかしそれはふっと薫る幻のようなもので、感じたかと思った頃にはなにもなくなっている。母は母だった。

 父は菊臣と特に親しかった。同じ血の通う二人に親しいというのがふさわしいかわからないが、とにかく父とは、俺よりも菊臣の方が距離が近かった。

父と菊臣が二人で出かけ、俺と母が二人で家に残っている、といった具合だった。

 「父上は、どうして俺にあやかしの話を聞かせてくれないのでしょう」

 いつか母の糠床を見せてもらいながら、俺は母へいってみた。

 「そうねえ」と母は考えるようにいった。そして思いついたように笑った。「きっとあれね、あの人はまだまだ生きるつもりなのですよ」と。

 「まだ自分の知識を伝えるような状況じゃないと、そう思っているのではないかしら」

 菊臣が父と出かけている間、俺は退屈凌ぎにと弟の部屋から書物を取ってきて読んでみたりした。

 父との帰宅のとき、菊臣は決まって、兄上なになにを買ってきましたよといった。それは団子だったり茶の葉だったり、いろいろだった。

 俺はその頃まで彼の書物を読んでいたから、礼をいってその買ってきたというものを受け取り、「これはその返礼だ」といって書物を差し出した。

菊臣は素直だから、決まって「本当ですか」と眼を輝かせた。そして受け取ってから、「これ僕のですよ」とわかりやすく落胆してみせるのだ。

 ある日たまらなくなって、廻廊に腰かけて、菊臣に「父上とは普段、どこへ出かけるんだい」と尋ねた。

寺の正面の廊下だったので、一助が俺たちをあの能天気そうな眼で眺めていた。

 「散歩です」と菊臣は答えた。

 「どんなところを歩くんだい」と重ねて尋ねると、「いろいろです」と彼はいった。

「町の中だったり、なんでもないような坂道だったり」と。

 「兄上は、母上となにをされているのですか」

 「大したことはなにも。ああ、少し前には糠床を見せてもらった」

 「糠床ですか」と笑う菊臣に、「ああ、糠床だ」と俺も笑った。男がなにをしているんだと思ったのだろう。

少なくとも俺はそうだった。この家の後継ぎであるこの俺が、なにを女の支配する世界に首を突っ込んでいるのだと。