爭いの始まった次の季節、なんら答えの出ないまま、久菊さまが亡くなった。久菊さまは私たちのことに一切接触しなかった。

これほど激しくぶつかり合っていて気がつかなかったなんてことはあるまい。

やり合っているのはなにも子供ではないのだと、見守っていたのだろう。あるいは——。

 いっそ、はっきりと久菊さまの口から伝えてほしかったものだが、起こったことを悔いても事は動かない。

 久菊さまの供養はここで行うことになった。しかしそれもまた、この状況では諍いの種にしかならない。

誰の手で送り出すか、という話になった。

私はその話では一切主張しなかった。私は久菊さまから御霊を送る、鎮める術は伝えられているものの、彼の血縁ではない。

なにもいいはしなかったが、私は菊臣さんが行うべきだと考えた。いや、考えるまでもない、梶澤佐助の言葉が事実であれば、私を除いては菊臣さんしかその術を持っていないのだ。

 しかし藍一郎さんは、この役目を担う者が家督の座に着けるとでも思ったのか、他所で供養しよういいだした。

私としてはそれでもいいように思ったのだが、珍しく菊臣さんが引かなかった。久菊さまの作ったここで送り出してやりたいというのだ。

 藍一郎さんとしても、そうなれば御霊を送り出す儀式の中心となるのが自分ではないということを理解しているようで、さらに頑固になった。

 兄弟の諍う中、私は梶澤佐助に再会した。屋敷の中でのことだった。

彼は酷く萎れた顔をしていた。「追い出されたかった」と彼はいった。そして、「なんて無力なのでしょう」と泣いた。

 彼は医者だといった。久菊さまの体調が芳しくなかったので、知り合いを通じてこの家に呼ばれたのだと。

しかし久菊さまは、佐助を除く者に見えるところだけでも健康でいたいといい、彼を自分の部屋に置いておいた。

そして日中、二人でいろいろな話をしたもので、この家のことや久菊さまの考えを知っていたのだという。

 久菊さまが亡くなったことで家内が騒然としていたので、梶澤佐助の登場はかなりすんなりと済んだ。

久菊さまの一件で菊臣さんが体調を崩したことに乗っかって、兄弟の前にひょっこりと現れたのだ。