廊下に上がると、部屋から藍一郎さんが出てくるところだった。「兄上、土産を買ってきましたよ」という菊臣さんに「旅なぞ聞いておらん」と静かな声が返る。

 「落語を聴きにいったのですよ。寒菊兄さんが帰りに買ったのです」

 私の差し出した団子を受け取って、藍一郎さんは哀しそうに笑った。「ありがとう」という声の優しさは、義理といえど弟というより兄のようだった。

 藍一郎さんは団子を持って廊下を歩いていった。

 突然、襖を突き破らん勢いで飛び出してきた者があった。

 「菊臣!」と弾けた無邪気な声が彼に飛びつく。深紅の着物に、淡い紫のような頭髪。紅蘭紫菊。

 「なんで連れていってくれないのさ」と彼は拗ねたようにいう。「出先で乱暴者に出くわすかもしれないとは思わないの?」

 「この町は平和だから」

 「莫迦、落語を聴きにいったんだろう? それじゃあずっと遠くじゃないか」

この辺りだってそうなんだ、と紫菊は小さく挟んだ。

「どんな奴がいるか知れたものじゃない」

 「でもね紫菊、君はこの寺に奉納された刀なんだ。一人の庶民のためにここを出ていい君じゃないんだよ」

 「俺は菊臣を守ると決めたんだ、そんじょそこらの刀とは違う、簡単に刃毀れしない自信がある。もし折れようと欠けようと、きっと戦い抜く。頼むから連れていってくれ。藍一郎が出なければ寺には藍がいる。

藍一郎と菊臣が同時に出るとなれば、藍が出るだろうから大人しく待っているさ。だから、菊臣一人や寒菊と二人で出るときには、どうか連れていってくれ。小さいから心許ないか? そんなこといってくれるな。菊臣への忠誠に偽りはない、菊臣と菊臣の大切な者くらい守れる」

 「わかったよ」と菊臣さんは笑った。「紫菊も落語が聴きたかったんだね」と。

 「とにかく、今後は俺も連れていけ」

 「わかったよ」

 「紫菊は菊臣さんが大好きだね」と私が笑うと、「魂は元来、まっすぐなものなのだ」と彼はいった。「捻じ曲がった魂など、実際には一つもない」と。