「これはこれは藍さん」と暢気な男の声がした。藍さんは途端に手を離した。鳩司だ。服の中で腕を組んでいる。

 「如何なさいましたか、大きなお声が聞こえましたが」

 そばまで悠々と歩いてくると、彼はわざとらしく驚いた顔をする。

「どうした、お綺。顔が赤いぞ」胸元から出した手の甲を私の頬に当てる。「熱いな」

 私は「大したことではない」と答えて彼の手を払った。なんのつもりか。

 鳩司は困ったように笑うと、藍さんの方を向いた。

 「なにか御用ですか。言伝なら承ります」

 「いいえ、特にございませんわ」と藍さんはいう。「綺さんとちょっと、お話がしたかっただけですの。同じ女の魂の持つ者同士、通ずる部分があるものですので」と、穏やかに。

 「然様でございますか」と、鳩司はらしくない、棘のある口調で答える。そして私の方を向き直ると、指先で頬に触れてきた。

 「しかし、あまり虐めてやらないで下さい」

 藍さんがなにかいうより先に、鳩司は「藍さんの美しさは、時に暴力的ですから」と口角を持ち上げた。

 藍さんの気配の遠ざかっていくのを感じ、私は鳩司の顔を見上げた。

 「なんのつもりだ」

 「藍さんが怖かった」と鳩司はへらりと肩をすくめる。

 「ならあんなことするんじゃないよ」

 「鳩が三歩進んでも忘れずにやってきたのだ、少しは誉めてくれたっていいじゃないか」

 ふざけた調子で喋って、鳩司はふっとまじめな顔をした。

 「で、なにがあった」

 「なにも。大したことじゃない」

 「そんなはずはないだろう。確かに頬が赤い」

 「私が干渉するからだ。あまりへたなことをすれば、鳩司も藍さんを敵に回す」

 「刀は投げられなければ飛べない。飛べても弓じゃないんだ、そんなに続かない」

 「正気か」

 「正直、正気」と頷く彼に、私は呆れて苦笑する。つまらない。

 「藍さんはなんというんだ」

 短く息をつき、その分を吸い込む。巻き込まれたいのなら巻き込まれればいい。

 「宿の者が寺に口を出すなと」

 「お前さんはなにをいったんだ」

 「寒菊さまを攻撃するなと。ああいうのが一等気に入らないのだ、なぜ言葉が通じる相手に力で攻撃する。あちらは言葉で足りぬからそうするほかないといっていたが、私にはとても理解できない」

 一つ言葉にしてしまえば、止めるところがわからなくなった。

 「寒菊さまが悪いのだと藍さんはいう。だが、なぜ一方的に乱暴するのだ。なぜ周りの者はそれを止めない。気に入らぬものを(こわ)す以外能のない者になにかを否定する資格はない、その罪が犯される限り、私は寺の者に挑む。それを宣言したのだ」

 「お前さんは寒菊さまが好きか」

 いわれて、どきりとするようなぎくりとするような衝撃があった。「鳥も侮ってはいけない」と鳩司は笑う。

 「嫌う理由がないだけだ。それ以上に、力を振り翳す寺の者が気に入らぬ、それだけだ」

 「お前さんの敵は誰だ?」

 「寒菊さまを力で攻撃する、それを黙認する者の全てだ」

 鳩司は私の頬に手の甲を当てた。「もっと冷たい手がいい」と顔を背けると、「悪いな、体温が高いんだ」と鳩司は苦笑した。「魂のくせに」というと「藍さんの手は冷たいかもな」といたずらに笑う声が返ってきた。

 「俺も、寒菊さまについていきたい」と鳩司は静かにいった。