帖と鳩司の部屋を出て、私は自分の部屋の前で寒菊さまの服の袖をつまんだ。
「寒菊さま」
振り返った彼の顔は、出会った日のように美しい。痕も赤みもまるでない。
「私を、お傍に置いて戴けませんか」
寒菊さまはどうしようもなく哀しい顔をした。「いけません」と囁くような静かな声がした。
大きな手が優しく頭を撫でる。「貴方を巻き込むわけにはいきません」
「もう、嫌なのです」悪いものに人が傷つくのは。「知らない爭いに、大切な人が傷つくのは」
寒菊さまは喉の奥で笑った。「私が大切ですか」
私は首を振った。「嫌う理由が、ありません」
「菊臣さんや藍一郎さんと接すれば、見え方が変わります」
「変わりません。寒菊さまと接して、お二方の見え方が変わったのです」
「それはどこか誤りがあります」
「寒菊さまの傷つくのを見ていなくてはならないのですか」
「彼らの胸中の傷から眼を逸らす理由にはなりません」
お二方がどのように傷ついたというのですか、といいかけて飲み込む。
「寒菊さまは、どうして当主になりたいのですか」
「醜い慾望のためです」
その中身を尋ねるより先に、「私はどうしても、両親に会いたいのです」と力強い声が静かに響いた。
「……探していらっしゃる御家族というのは、」
「ええ、両親です。私はそのために、日暮家の皆々様を利用しているのです。私の慾望はこの家を滅ぼします。それを知って黙っていられる者など、いないでしょう」
「それでも、どうして乱暴をするのですか。なぜ肉体をぶつけるのです」それも、抵抗できぬ者に一方的に。なぜ、内側に触れ合えない。悪霊が。
「寒菊さまの相手は、もはや人間ではありません」
「それは彼らとて同じことです。私は人間ではありません。人ならざる醜いものと戦うのが人間ならば、私の相手は立派な人間です」
「人が力を振り翳していい理由などありません」丸腰の相手に刀を抜いた時点で、「罪を罪とわからなくなった時点で、人は人でなくなるのです」
寒菊さまの長い腕が、そのあたたかい体へ私を引き寄せた。
「貴方は、幸せにならなくてはなりません」
「では、……どうか、お傍に置いて下さい」
私は、見えないところで人の傷つくことが一等怖いのです。せめて努力の稔るところにいる一人くらい、守らせて下さい。
身も魂も差し出しましょう。痛みも動かなくなることも恐れません。守るべきものを守り抜いた先にあるのなら、己の死も甘んじて受け入れましょう。
だから——
「……どうか、」
「寒菊さま」
振り返った彼の顔は、出会った日のように美しい。痕も赤みもまるでない。
「私を、お傍に置いて戴けませんか」
寒菊さまはどうしようもなく哀しい顔をした。「いけません」と囁くような静かな声がした。
大きな手が優しく頭を撫でる。「貴方を巻き込むわけにはいきません」
「もう、嫌なのです」悪いものに人が傷つくのは。「知らない爭いに、大切な人が傷つくのは」
寒菊さまは喉の奥で笑った。「私が大切ですか」
私は首を振った。「嫌う理由が、ありません」
「菊臣さんや藍一郎さんと接すれば、見え方が変わります」
「変わりません。寒菊さまと接して、お二方の見え方が変わったのです」
「それはどこか誤りがあります」
「寒菊さまの傷つくのを見ていなくてはならないのですか」
「彼らの胸中の傷から眼を逸らす理由にはなりません」
お二方がどのように傷ついたというのですか、といいかけて飲み込む。
「寒菊さまは、どうして当主になりたいのですか」
「醜い慾望のためです」
その中身を尋ねるより先に、「私はどうしても、両親に会いたいのです」と力強い声が静かに響いた。
「……探していらっしゃる御家族というのは、」
「ええ、両親です。私はそのために、日暮家の皆々様を利用しているのです。私の慾望はこの家を滅ぼします。それを知って黙っていられる者など、いないでしょう」
「それでも、どうして乱暴をするのですか。なぜ肉体をぶつけるのです」それも、抵抗できぬ者に一方的に。なぜ、内側に触れ合えない。悪霊が。
「寒菊さまの相手は、もはや人間ではありません」
「それは彼らとて同じことです。私は人間ではありません。人ならざる醜いものと戦うのが人間ならば、私の相手は立派な人間です」
「人が力を振り翳していい理由などありません」丸腰の相手に刀を抜いた時点で、「罪を罪とわからなくなった時点で、人は人でなくなるのです」
寒菊さまの長い腕が、そのあたたかい体へ私を引き寄せた。
「貴方は、幸せにならなくてはなりません」
「では、……どうか、お傍に置いて下さい」
私は、見えないところで人の傷つくことが一等怖いのです。せめて努力の稔るところにいる一人くらい、守らせて下さい。
身も魂も差し出しましょう。痛みも動かなくなることも恐れません。守るべきものを守り抜いた先にあるのなら、己の死も甘んじて受け入れましょう。
だから——
「……どうか、」