部屋の前で「帖」と呼びかけると、「どうした」と鳩司が廊下を歩いてきた。「寒菊さま」と頭を下げる彼に「帖に用がある」と答えると、「すまないね」と帖が戸を開けた。

 「これは寒菊さま」と驚いた様子で部屋を出てくる。

 「こりゃあ酷い。どうしたんです」と、頭一つ分ほど低いところから寒菊さまの顔を窺う。

 「はああ……なんだかこの頃物騒ですな」といって、帖は「とりあえずお入り下さい」と上に向けた掌を部屋の中へ入れた。「お綺も」といわれるまま、寒菊さまと部屋の者二人と、中に入る。寒菊さまと帖が向かい合う形で座り、私は鳩司と横に並んで隅に座った。

 「そちらじゃあ爭いも起こるのですか」という帖に「私が悪いのです」と寒菊さまはいう。

 「寒菊さまがそんな目に遭われているようじゃあ、我々はもう、いられませんよ」

 「帖、随分と親しげに話すな」と鳩司へ囁くと、「帖はかなり長いんだ」と返ってきた。

 「そうなのか、では私の態度はかなり不躾なものではないか」

 「お前さんは俺に対してもそうだろう。気にすることはない、こっちは皆同じようなものだ」

 「鳩司も長いのか」

 「ここに鳩がどれだけいるか知っているか」

 まじめに考える私に、鳩司は「あれほどいる鳩の中で一番の古参なんだよ」という。鳩はあやかしの中でも極一部であるし、具体的なことはなにもわからないが、かなり長くいるといいたいようだ。

 「なにやら鳩の一羽が、お寺の方ではいろいろと大變そうだといっていたのですが、誠ですか」

 「あなたでしょう」と笑うと「黙れ」と返ってきた。これでは笑えといわれているようなものだ。

 「あっしとしては寒菊さまに継いで戴きたいのですがね」

 「どうして」と寒菊さまの静かな声がいう。

 「そりゃあ、この乱暴な真似をするお方にはついていけませぬ」

 「帖君も、傷口を洗うでしょう。痛みを伴っても」

 帖は少し黙ってから「そうですね」と答えた。そうする前に妖力でどうにかすると思ったのかもしれない。

 「それと同じことです。彼は私がいるゆえ、乱れてしまっているのです。私さえいなければ、とても優しい人です」

 「次に寒菊さまと同じようなお方が現れることはないと仰いますか」

 「それはそうさ。彼は“寒菊”を、二度と咲かせない」

 「冬の菊も美しいものですがね」

 「菊は秋の花です。残菊はよく頑張ったものと誉められましょうが、季節外れに咲くものは、寒菊だの冬菊だのと気の利いた名をつけようとも、菊ではないのです」

 「寒菊さまは、御自分がお嫌いですか」

 寒菊さまは少し黙り込んでから、「いいえ」と答えた。その沈黙は、これまでの日々を振り返っているようなぬくもりがあった。

 「私は私を愛しています。この世に生まれ、皆と出会えたことを誇りに思います」

 「それなら」と帖がいう。「これからも我々のような魂と出会って下さりませ。行き場を、主を失った孤独な魂を、あたたかく憐れんで下さりませ」

 寒菊さま——。