あやとの交流は、私には過ぎたことだ。
 私と付き合いを続けたところで、なにもいいことはない。危険しかないのに。

 あやは長年、私のところに通ってくれている。
 毎日というわけにはいかないけれど。仕事の合間を縫って、わずかな時間でも。
 私のところにこっそり来て、本来であれば私がずっと閉じ込められるはずだった座敷牢の鍵を開けてくれて、私を散歩に連れ出してくれたり、小屋をさりげなく掃除してくれたり、いろんな楽しい話を聞かせてくれたりする。
 たまに食糧を持ってきてくれることもある。あやの家族に私は会ったことがないけれど、あやが私にこっそり仕えていることは知っているらしく、家族がよろしく申してましたと伝言つきで食料を分けてくれるのだ。とっても、ありがたい。

 ここはたしかに、座敷牢だけど。
 住めば都で、悪くはない。
 この小屋だって、雨風はしのげる。天井が一部剥がれ落ちていてとっくの昔に雨漏れしていて、昨晩の雷雨では床が水びたしになったけど。
 座敷だって、畳はほとんど腐っているけど、地面に座るよりはましだし。
 食料は一日、片手に収まるほどの粟しかないけど、あやがこっそり米やお菓子を持ってきてくれることだってあるし。

 でも、それが強がりだって、私は心のどこかで気づいている。

 私はかなわぬ夢想をする。

 清じゃなくて、あやが私の妹だったならよかったのに……。
 私は蓮池家になど生まれなくてよかった。蓮池家が、いかに由緒正しい格式高い家だとしたって。
 あやの家に生まれたかった。たとえ家ごと借金のために買われて女中の身分として生きることになっても。

 だれにも咎められずに村を歩くことができて、質素であっても温かいごはんと家族との穏やかな時間があって。
 ……恋もできて、未来があるなんて。

 たとえば、あやの姉として生まれたなら。
 私はふつうの幸せを手に入れられたのではないだろうか。

 清の双子の姉として生まれてきたばかりに……私は、水淵村の伝統――「双子は、先に出てきた者を忌み子とすべし」という伝統に従って、忌み子として生きていく運命しか、なくなってしまったのだから。