私たちは、神々とあやかしのおそばで生きている。

 人間にとって、もっとも身近で、たいせつな存在。
 それは、村をまもってくださる、まもり神さま。

 まもり神さまはひとつの村におひとりいらっしゃって、その村を、ずっとずっと加護してくださる。
 豊穣も、平和も、繁栄も。
 すべてはまもり神さまがいてくださるからこそ・

 私たちの水淵(みなふち)村には、まもり神さまがずっといらっしゃらなかった。
 だから、ずっと水害や不作が続いていた。

 極めつけに。
 私などという不吉な存在が生まれてきてしまった。

 双子の姉のほう。
 それは、最悪に不吉な存在だった。

 (すずり)と、一応に名をつけられた私は、しかし、本来いてはならない存在だった。
 産まれてすぐに、座敷牢で生活するようになった。

 笑顔を向けられた思い出はほとんどない。
 村人たちはみな、私が幼いころから、嫌悪感を剥き出しにして私の面倒を見た。
 孤独で、さみしくて、泣いてばかりの幼少期だった。

 私は今年で十六になる。
 もうそんなに泣くことはなくなった。
 けれど。孤独も、さみしさも、消えたわけではない。

 そして。
 まもり神のずっといなかった私たちの村に、二年前にやっと、まもり神さまがあらわれた。
 稲荷の化身であると名乗る、金色に輝く長髪がお美しい、まもり神さま。

 まもり神さまは、私の双子の妹にあたる(さやか)を愛した。
 双子だというのに、私と清の運命は、ずいぶん違うものとなった。

 清は、この水淵村の時代跡継ぎのお嬢さま。
 私は、忌み子。

 本来、忌み子の私は存在してはならないのだけど。
 ……もし生贄が必要になったときに利用できるからってだけの理由で、生きている。

 ……生かされている。
 なんにもない、虚しい人生を。

 山の入口に建てられた粗末な座敷牢に閉じ込められて、ただただ時を送るだけ。
 清がやってくれば、彼女の不満や疲労のはけ口として、利用されるだけ。

 それでも……そんなものだと、思っていた。
 だって、私は忌み子だから……。

 殺されていないだけでも、感謝しなくちゃいけないんだから……。