「……それで? あの子は何?」
食事を終えた頃合いで風呂が沸いたので、雨に打たれていた琴葉に先に風呂に入ってもらった時である。母の春子が唐突に訊いてきた。
「え?」
「カノジョじゃないんでしょ?」
「……わかってたのか」
「そりゃあね。もうかれこれ十七年以上あんたのお母さんやってますから」
さすがに最初はびっくりしたけどね、と春子は付け足して笑った。
海殊は素直に驚いた。母は全て嘘だと見抜いた上で、その嘘に付き合っていたのである。できるだけ自然に、そして琴葉が違和感なく過ごせる様に接していたのだ。
「正直言うと、俺もわからないんだ」
「はあ?」
「でも、放っておけなかった」
息子の言葉に母は怪訝そうに首を傾げていたが、そう答えるしかなかった。それ以外に、海殊の行動の動機などなかったのだから。
海殊はそれから、今日あった事を話した。
今日あった事と言っても、大したものではない。図書館帰りに公園で雨に打たれている女の子と出会って、どうしても放っておけなくて声を掛けてしまっただけである。
海殊と琴葉の関係などそれしかなかったのだ。同じ学校ではある様だが、これまで校舎で会った事もなければ、見掛けた事もない。完全に赤の他人なのである。
「家出してるの?」
「……多分」
「多分って、あんたねぇ……」
息子の答えに、春子は再度呆れ返って嘆息した。
ただ、母のその気持ちは海殊が一番よく理解している。彼自身が自分の状況をわかっていないし、自分の行動原理もわかっていないのだ。普段の自分なら絶対にやらない事を立て続けにしてしまっているので、母が理解に苦しむのも仕方ない。
春子はもう一度大きな溜め息を吐くと、立ち上がった。
「ま、何でもいいけど、無理のない範囲でね」
「え?」
これまた母の意外な言葉に、海殊は驚いて顔を上げた。この母親は、本当に今のこのよくわからない状況を受け入れてくれるというのだ。
「とりあえず守って欲しい事は、向こうの親御さんに迷惑を掛けない事かな。それと、もし掛けちゃったなら、すぐにあたしにちゃんと報告する事。あたしも一緒に事情を説明して、謝りに行ってあげるから」
「母さん……」
もともと理解のある親(というよりは放任主義なのだけれど)だとは思っていたが、ここまでだとは思わなかった。
これはこれで、心配になってしまう。家出少女を匿うというのは、色々面倒を引き起こすのではないかとも思えたからだ。
それに関して春子は「まあ、学校には行くんなら大丈夫じゃない?」と楽観的だった。どうしても連れ戻したければ親が学校までくるだろうし、それはもはや琴葉の家庭の問題なので、自分はタッチするつもりはないと春子は言う。
「どうしてそこまでしてくれるんだ。明らかに俺の採っている行動は変だし、おかしいだろ」
海殊がそう言うと、母は「まあね」と呆れた様子で眉を下げた。
「でもさ……あんたの母親を十七年以上してるって言ったけど、こうしてあたしに嘘吐いてまで何かしようとしたのは今回が初めてじゃない? だから、きっと……引けない理由があるのかなって思ったわけよ」
めちゃくちゃ可愛い子だしね、と付け加えて、春子は悪戯げに笑った。
言われてみれば、そうなのかもしれない。
海殊は所謂デキの良い子供で、これまでの人生でわがままなども殆ど言った覚えがなかった。それはうちが片親で、女手ひとつで自分を育ててくれている春子には心から感謝していたからだ。親にはできるだけ迷惑を掛けない様にして生きなければならないと無意識下に思っていたのである。
「もちろん、何もチェックしてないわけじゃないわよ? 話した感じ何か裏があるタイプでもないし、色仕掛けをする様な子でもなさそうだし……この子なら大丈夫かなって」
どうやら母は、先程の食事中の会話で琴葉の本質に迫る様な質問をいくつか投げかけていたらしい。
海殊からすればただの日常会話にしか思えなかったのだが、質問をした時の表情や仕草などから色々な情報を読み取り、その判断に至ったそうだ。女とは恐ろしい生き物である。
「それで……母さんはどう思ったの? 琴葉の事」
「んー、普通に良い子なんじゃない? どうして家出なんかするんだろうって思うくらいには優等生ってイメージよ。何かあるんじゃないかって思うけど……でも、あとはあんたと同じかな」
「え? 同じって?」
「なんだか、放っておけなかったのよ。守ってあげたいとかそういう庇護欲とは違うんだけど……力になってあげなくちゃいけないっていう義務感、みたいな感じ?」
海殊は母のその言葉にも驚いた。どうやら、潜在的に自分と同じイメージを春子も抱いていたのだ。
「だから、あんたがそう感じてるなら、全力であの子の力になってあげなさい。あ、でも無理矢理はダメよ? 合意があるならもちろんいいんだけど」
「……ちょっと待った。後半は何か話が変わった気がするんだけど」
「そうなの? こんなに理解ある親他にいないわよ~? 感謝しなさいね。ま、あとは頑張んなさい」
ほほほ、と春子はわざとらしく笑って、二階へと上がっていった。琴葉の布団を敷くつもりなのだろう。滝川家は一軒家だが、二階には来客用の空き部屋があるのだ。
「まあ……こんなむちゃくちゃな状況を受け入れてくれる器の大きさには感謝してるよ」
海殊は大きく溜め息を吐いて、そう独り言ちた。
とりあえず何とか諸々は乗り越えたらしい事に、まずは安堵する。無論、自分の行動がどこに向かっているかなど、わかるはずがないのだけれど。
食事を終えた頃合いで風呂が沸いたので、雨に打たれていた琴葉に先に風呂に入ってもらった時である。母の春子が唐突に訊いてきた。
「え?」
「カノジョじゃないんでしょ?」
「……わかってたのか」
「そりゃあね。もうかれこれ十七年以上あんたのお母さんやってますから」
さすがに最初はびっくりしたけどね、と春子は付け足して笑った。
海殊は素直に驚いた。母は全て嘘だと見抜いた上で、その嘘に付き合っていたのである。できるだけ自然に、そして琴葉が違和感なく過ごせる様に接していたのだ。
「正直言うと、俺もわからないんだ」
「はあ?」
「でも、放っておけなかった」
息子の言葉に母は怪訝そうに首を傾げていたが、そう答えるしかなかった。それ以外に、海殊の行動の動機などなかったのだから。
海殊はそれから、今日あった事を話した。
今日あった事と言っても、大したものではない。図書館帰りに公園で雨に打たれている女の子と出会って、どうしても放っておけなくて声を掛けてしまっただけである。
海殊と琴葉の関係などそれしかなかったのだ。同じ学校ではある様だが、これまで校舎で会った事もなければ、見掛けた事もない。完全に赤の他人なのである。
「家出してるの?」
「……多分」
「多分って、あんたねぇ……」
息子の答えに、春子は再度呆れ返って嘆息した。
ただ、母のその気持ちは海殊が一番よく理解している。彼自身が自分の状況をわかっていないし、自分の行動原理もわかっていないのだ。普段の自分なら絶対にやらない事を立て続けにしてしまっているので、母が理解に苦しむのも仕方ない。
春子はもう一度大きな溜め息を吐くと、立ち上がった。
「ま、何でもいいけど、無理のない範囲でね」
「え?」
これまた母の意外な言葉に、海殊は驚いて顔を上げた。この母親は、本当に今のこのよくわからない状況を受け入れてくれるというのだ。
「とりあえず守って欲しい事は、向こうの親御さんに迷惑を掛けない事かな。それと、もし掛けちゃったなら、すぐにあたしにちゃんと報告する事。あたしも一緒に事情を説明して、謝りに行ってあげるから」
「母さん……」
もともと理解のある親(というよりは放任主義なのだけれど)だとは思っていたが、ここまでだとは思わなかった。
これはこれで、心配になってしまう。家出少女を匿うというのは、色々面倒を引き起こすのではないかとも思えたからだ。
それに関して春子は「まあ、学校には行くんなら大丈夫じゃない?」と楽観的だった。どうしても連れ戻したければ親が学校までくるだろうし、それはもはや琴葉の家庭の問題なので、自分はタッチするつもりはないと春子は言う。
「どうしてそこまでしてくれるんだ。明らかに俺の採っている行動は変だし、おかしいだろ」
海殊がそう言うと、母は「まあね」と呆れた様子で眉を下げた。
「でもさ……あんたの母親を十七年以上してるって言ったけど、こうしてあたしに嘘吐いてまで何かしようとしたのは今回が初めてじゃない? だから、きっと……引けない理由があるのかなって思ったわけよ」
めちゃくちゃ可愛い子だしね、と付け加えて、春子は悪戯げに笑った。
言われてみれば、そうなのかもしれない。
海殊は所謂デキの良い子供で、これまでの人生でわがままなども殆ど言った覚えがなかった。それはうちが片親で、女手ひとつで自分を育ててくれている春子には心から感謝していたからだ。親にはできるだけ迷惑を掛けない様にして生きなければならないと無意識下に思っていたのである。
「もちろん、何もチェックしてないわけじゃないわよ? 話した感じ何か裏があるタイプでもないし、色仕掛けをする様な子でもなさそうだし……この子なら大丈夫かなって」
どうやら母は、先程の食事中の会話で琴葉の本質に迫る様な質問をいくつか投げかけていたらしい。
海殊からすればただの日常会話にしか思えなかったのだが、質問をした時の表情や仕草などから色々な情報を読み取り、その判断に至ったそうだ。女とは恐ろしい生き物である。
「それで……母さんはどう思ったの? 琴葉の事」
「んー、普通に良い子なんじゃない? どうして家出なんかするんだろうって思うくらいには優等生ってイメージよ。何かあるんじゃないかって思うけど……でも、あとはあんたと同じかな」
「え? 同じって?」
「なんだか、放っておけなかったのよ。守ってあげたいとかそういう庇護欲とは違うんだけど……力になってあげなくちゃいけないっていう義務感、みたいな感じ?」
海殊は母のその言葉にも驚いた。どうやら、潜在的に自分と同じイメージを春子も抱いていたのだ。
「だから、あんたがそう感じてるなら、全力であの子の力になってあげなさい。あ、でも無理矢理はダメよ? 合意があるならもちろんいいんだけど」
「……ちょっと待った。後半は何か話が変わった気がするんだけど」
「そうなの? こんなに理解ある親他にいないわよ~? 感謝しなさいね。ま、あとは頑張んなさい」
ほほほ、と春子はわざとらしく笑って、二階へと上がっていった。琴葉の布団を敷くつもりなのだろう。滝川家は一軒家だが、二階には来客用の空き部屋があるのだ。
「まあ……こんなむちゃくちゃな状況を受け入れてくれる器の大きさには感謝してるよ」
海殊は大きく溜め息を吐いて、そう独り言ちた。
とりあえず何とか諸々は乗り越えたらしい事に、まずは安堵する。無論、自分の行動がどこに向かっているかなど、わかるはずがないのだけれど。