家に帰っている道中、海殊は琴葉と会話をするよりも、この状況をどう親に説明するかに必死に思考を巡らせていた。
海殊の家は母子家庭だ。母の滝川春子はプログラマーで家を空ける事が多いが、女手ひとつで海殊を不自由なく育ててくれた。どちらかというと男勝りな性格で基本的にノリもよく、何でもかんでも受け入れてくれるのだが──
(今回ばっかりは、どう出るか……)
海殊は俯いたまま歩く隣の少女をちらりと見た。
同じ学校の後輩とは言え、見ず知らずの家出少女である。果たして泊めてやる事などできるのだろうか。如何にテキトーな親とは言え、ひと悶着ある事が予想できた。
しかも、水谷琴葉と名乗った少女は、七月なのにまだ冬用のブレザーを着ている。夏でも寒さを感じる変わった体質なのかとも思ったが、普通に暑そうで汗をかいていた。
先程ブレザーを脱がないのかと訊いてみたところ、ワイシャツが濡れて透けてしまうので嫌なのだという。それはそれで、海殊が気まずそうに言葉を詰まらせたのは言うまでもない。
「……? どうかした?」
視線を感じた琴葉が不思議そうに首を傾げた。
「いや、何でない。肩、濡れてないか?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
彼の傘に入れてやっているので、距離は随分と近い。
こんなに女の子と距離を近づいた事などもちろん初めてであったし、無駄に緊張してしまう。そして、そんな自分がこれからこの子を家に泊めようとしているのだから、もう意味がわからなかった。
「あっ……ねえ。いきなりなんだけど、変な事訊いてもいい?」
琴葉が不意に海殊を見上げた。
その表情はどこか不安げで、訊いてもいいか迷っている様でもあった。
「何を以てして変な事なのかわからないけど……まあ、俺が答えられる事なら」
「その……今日って、何日?」
「今日? 今日は七月一日だけど」
祐樹にも答えたばかりの質問だ。迷うまでもない。
日付の確認など誰でもするものだ。別に変でも何でもなかった。
「えっと、それは……何年の?」
「は?」
本当に変な事を訊かれた。
今日が何曜日であったり、何日であったりは訊かれる事はある。うっかり忘れる事も多いし、特に変な会話ではないだろう。
しかし、それが何年かとなると、話は違ってくる。彼女の質問はまるで、SF映画でタイムスリップしてきた者が言う台詞だ。
「……二〇二X年の七月だけど?」
「え……!?」
海殊が迷いながら答えると、琴葉は思いのほか驚いていた。
立ち止まって愕然としたまま、その青くて綺麗な瞳を揺らしている。
「え? どうした?」
困惑するのは海殊も同じだ。ただ年数を言って、そこまで驚かれるとも思っていなかったのだ。
これが年末年始なら前年と勘違いする事もあるだろう。しかし、今はもう七月だ。二〇二X年になって、もう半年以上が経っている。それを今更驚く意味がわからなかった。
「う、ううん……何でもない。そうだよ、ね。二〇二X年だよね……何言ってんだろ、私」
海殊が怪訝そうにしていると、てへへ、と恥ずかしそうに笑って、琴葉は再び俯いた。表情は見えないが、その肩は沈んでいる様に見える。
ろくに自分の事を話さず、季節外れな服装で外でひとり佇んでいる少女……そして、今年が何年かと訊いてくる始末だ。それはあまりに不自然だった。
(……まさか、本当にタイムマシンで過去に戻ってきたとかじゃないよな? 特異点を間違えて戻る予定の時間がズレたとか?)
一瞬、そんな事を考えてしまう。本の読みすぎだと笑われてしまいそうだが、ちょうどこの前読んだ本がそんな内容だったのだ。
だが、そんな不自然さがあるのに、海殊は彼女の事を気味が悪いとは思えなかった。それよりも何とか彼女を助けたいと思う始末だ。琴葉と名乗った少女も変わっているが、自分も変わり者である事は同じな様だ。
「えっと……ここがうちなんだけど。一応俺の方でもそれっぽい理由考えたから、テキトーに合わせて」
自宅の前まで辿り着くと、海殊は門扉を開きながら言った。
さすがに家出少女を拾ったので泊めてやって欲しいというのは無理があると思ったので、他にも理由を考えたのだ。
本当はもっと打ち合わせたかったのだが、少し話してみて思った事は、彼女はあまり自分の事を話したがらないという事だ。それに、どうやら複雑な家庭っぽいので、どこに地雷があるのかもわからない。海殊も踏み込んでいいのかの判断ができなかったのである。
「うん、ありがとう。頑張って話合わせるね」
「まあ、とりあえず頼むだけ頼んでみるけど……無理でも怨むなよ」
念の為そう言ってから、玄関ドアを開く。
ここからが正念場だ。自分自身どうしてこんな事になっているのかさっぱりわからないが、とりあえず何とかなるだろう。何とかならなくても海殊が悪いわけではないし、なるようにしかならない。
そう思っていたが──
「ほんと、ごめんねえ琴葉ちゃん! お客さん連れてくるなら海殊も先に言いなさいよ、もっと豪勢な夕飯にしたのに!」
詳しく説明するまでもなく、海殊の母・春子は普通にこの状況を受け入れてしまった。
今は夜の九時半前といったところだ。結構遅い時間に息子が女を連れて帰ってきたというのに、全く何の障害も生じなかった。
春子は琴葉に着替えを貸して、濡れた制服を干すと──冬服である事にもノータッチだった──彼女を脱衣所に案内していた。
今は早速彼女の前に取り皿とスプーンを並べている。一方の琴葉は春子の勢いに押されて、たじたじとした様子で席に座らされていた。
夕飯のメニューはタコスだったらしくて、丁度三人で食べるには良いメニューだ。テーブルの上にはタコミートと野菜が並べられており、その横にトルティーヤの皮が重ねられている。滝川家では、自分で好きな具材を取ってトルティーヤに乗せて食べるスタイルなのだ。
昼から何も食べていなかった海殊は、自らの腹がぐうっと鳴ったのを感じた。
「まさか海殊がガールフレンドを連れてくるだなんてねえ。しかも、こんな可愛い子だなんて……あんた、普段女の子に興味ない素振り見せておいて、しっかりしてるじゃない」
琴葉が着替えている間、春子は小声でそう言った。挙句に「お母さん、息子の成長に泣けてきちゃったわ!」と言いながら、よよよと袖で涙を拭う仕草までしている。
ガールフレンドなどとは一言も言っていないのだけれど勝手に勘違いされてしまっている様だ。海殊としては頭痛を覚えざるを得ない状況だったが、これはむしろ都合が良かった。
「えっと、それで母さん。今、こいつの親が旅行行ってるみたいでさ、ちょっとの間泊めてやって欲しいんだけど──」
「そんなの、良いに決まってるじゃない! 二泊でも三泊でも、好きなだけ泊まってもらって。二階の空いてる部屋使ってもらっていいから」
これまた簡単に承諾されてしまった。
自分から言い出して信じられない海殊である。思わず「えええ……」と困惑の言葉が漏れた程であった。
「あ、琴葉ちゃん。化粧水とか持ってきてる? 持ってきてなかったらあたしの使っていいからね。洗面台に置いてあるから」
食卓に三人で座ると、早速母が琴葉が話し掛けた。
「え、いいんですか? 持ってきてなくて、どうしようかと思っていたんです」
「ええ、もちろん。若いからって肌ケアを怠るのは禁物よ。こういうのは積み重ねなんだから」
「はい、ありがとうございます!」
そして、何故か親しくなっている母と謎の家出少女である。母に至っては、もはや海殊よりも琴葉と親しんでいる様にさえ思えた。
海殊はそんな二人のやり取りを眺めながら、黙々とタコスを食べるしかなかった。自分で切り出しておいて何だが、一番この状況を理解できていないのが彼自身だ。
「あ、そうだ琴葉ちゃん。家事とかできる?」
食事も後半に差し掛かってきた頃、唐突に春子が琴葉に訊いた。
「家事ですか? 人並みにはできると思いますけど……」
「じゃあ、あたしが不在の時は任せていいかしら? 仕事で夜遅くなる時とか夜勤もたまにあって、どうしても溜めがちになっちゃうのよねえ……この子もあんまり手伝ってくれないし。もちろん、できる範囲で構わないから」
母はじとっとした視線を息子に送って言った。
海殊はその視線に気付かないふりをして、トルティーヤを丸めて口の中に放り込んだ。もはや一番会話についていけてない。
隣の琴葉はそんな海殊を見て微笑むと、「はい、任せて下さい」と嫣然として返事をするのだった。
(なんかよくわかんないけど……上手く運んでるなら、いいのかな)
思っていた展開と全く異なったが、とりあえずこっそりと安堵の息を吐く。
(それにしても……何で俺、ここまでこの子の為に必死になってるのかな)
タコスをもぐもぐと美味しそうに食べる琴葉の横顔をちらりと見て、ふとそう思う。
今日の一連の行動はどれをとっても自分らしくなかった。しかし、それでも海殊には彼女を放っておくという選択などなかった様に思うのだ。そこにあったのは、義務感や使命感。まるで運命に導かれる様にして、琴葉に声を掛けていた。公園で雨に濡れて不安そうにしている彼女を、見過ごす事などできなかったのだ。
そして、母と楽しそうに話している琴葉を見て、自分の直感は間違いではなかったと思うのだった。
海殊の家は母子家庭だ。母の滝川春子はプログラマーで家を空ける事が多いが、女手ひとつで海殊を不自由なく育ててくれた。どちらかというと男勝りな性格で基本的にノリもよく、何でもかんでも受け入れてくれるのだが──
(今回ばっかりは、どう出るか……)
海殊は俯いたまま歩く隣の少女をちらりと見た。
同じ学校の後輩とは言え、見ず知らずの家出少女である。果たして泊めてやる事などできるのだろうか。如何にテキトーな親とは言え、ひと悶着ある事が予想できた。
しかも、水谷琴葉と名乗った少女は、七月なのにまだ冬用のブレザーを着ている。夏でも寒さを感じる変わった体質なのかとも思ったが、普通に暑そうで汗をかいていた。
先程ブレザーを脱がないのかと訊いてみたところ、ワイシャツが濡れて透けてしまうので嫌なのだという。それはそれで、海殊が気まずそうに言葉を詰まらせたのは言うまでもない。
「……? どうかした?」
視線を感じた琴葉が不思議そうに首を傾げた。
「いや、何でない。肩、濡れてないか?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
彼の傘に入れてやっているので、距離は随分と近い。
こんなに女の子と距離を近づいた事などもちろん初めてであったし、無駄に緊張してしまう。そして、そんな自分がこれからこの子を家に泊めようとしているのだから、もう意味がわからなかった。
「あっ……ねえ。いきなりなんだけど、変な事訊いてもいい?」
琴葉が不意に海殊を見上げた。
その表情はどこか不安げで、訊いてもいいか迷っている様でもあった。
「何を以てして変な事なのかわからないけど……まあ、俺が答えられる事なら」
「その……今日って、何日?」
「今日? 今日は七月一日だけど」
祐樹にも答えたばかりの質問だ。迷うまでもない。
日付の確認など誰でもするものだ。別に変でも何でもなかった。
「えっと、それは……何年の?」
「は?」
本当に変な事を訊かれた。
今日が何曜日であったり、何日であったりは訊かれる事はある。うっかり忘れる事も多いし、特に変な会話ではないだろう。
しかし、それが何年かとなると、話は違ってくる。彼女の質問はまるで、SF映画でタイムスリップしてきた者が言う台詞だ。
「……二〇二X年の七月だけど?」
「え……!?」
海殊が迷いながら答えると、琴葉は思いのほか驚いていた。
立ち止まって愕然としたまま、その青くて綺麗な瞳を揺らしている。
「え? どうした?」
困惑するのは海殊も同じだ。ただ年数を言って、そこまで驚かれるとも思っていなかったのだ。
これが年末年始なら前年と勘違いする事もあるだろう。しかし、今はもう七月だ。二〇二X年になって、もう半年以上が経っている。それを今更驚く意味がわからなかった。
「う、ううん……何でもない。そうだよ、ね。二〇二X年だよね……何言ってんだろ、私」
海殊が怪訝そうにしていると、てへへ、と恥ずかしそうに笑って、琴葉は再び俯いた。表情は見えないが、その肩は沈んでいる様に見える。
ろくに自分の事を話さず、季節外れな服装で外でひとり佇んでいる少女……そして、今年が何年かと訊いてくる始末だ。それはあまりに不自然だった。
(……まさか、本当にタイムマシンで過去に戻ってきたとかじゃないよな? 特異点を間違えて戻る予定の時間がズレたとか?)
一瞬、そんな事を考えてしまう。本の読みすぎだと笑われてしまいそうだが、ちょうどこの前読んだ本がそんな内容だったのだ。
だが、そんな不自然さがあるのに、海殊は彼女の事を気味が悪いとは思えなかった。それよりも何とか彼女を助けたいと思う始末だ。琴葉と名乗った少女も変わっているが、自分も変わり者である事は同じな様だ。
「えっと……ここがうちなんだけど。一応俺の方でもそれっぽい理由考えたから、テキトーに合わせて」
自宅の前まで辿り着くと、海殊は門扉を開きながら言った。
さすがに家出少女を拾ったので泊めてやって欲しいというのは無理があると思ったので、他にも理由を考えたのだ。
本当はもっと打ち合わせたかったのだが、少し話してみて思った事は、彼女はあまり自分の事を話したがらないという事だ。それに、どうやら複雑な家庭っぽいので、どこに地雷があるのかもわからない。海殊も踏み込んでいいのかの判断ができなかったのである。
「うん、ありがとう。頑張って話合わせるね」
「まあ、とりあえず頼むだけ頼んでみるけど……無理でも怨むなよ」
念の為そう言ってから、玄関ドアを開く。
ここからが正念場だ。自分自身どうしてこんな事になっているのかさっぱりわからないが、とりあえず何とかなるだろう。何とかならなくても海殊が悪いわけではないし、なるようにしかならない。
そう思っていたが──
「ほんと、ごめんねえ琴葉ちゃん! お客さん連れてくるなら海殊も先に言いなさいよ、もっと豪勢な夕飯にしたのに!」
詳しく説明するまでもなく、海殊の母・春子は普通にこの状況を受け入れてしまった。
今は夜の九時半前といったところだ。結構遅い時間に息子が女を連れて帰ってきたというのに、全く何の障害も生じなかった。
春子は琴葉に着替えを貸して、濡れた制服を干すと──冬服である事にもノータッチだった──彼女を脱衣所に案内していた。
今は早速彼女の前に取り皿とスプーンを並べている。一方の琴葉は春子の勢いに押されて、たじたじとした様子で席に座らされていた。
夕飯のメニューはタコスだったらしくて、丁度三人で食べるには良いメニューだ。テーブルの上にはタコミートと野菜が並べられており、その横にトルティーヤの皮が重ねられている。滝川家では、自分で好きな具材を取ってトルティーヤに乗せて食べるスタイルなのだ。
昼から何も食べていなかった海殊は、自らの腹がぐうっと鳴ったのを感じた。
「まさか海殊がガールフレンドを連れてくるだなんてねえ。しかも、こんな可愛い子だなんて……あんた、普段女の子に興味ない素振り見せておいて、しっかりしてるじゃない」
琴葉が着替えている間、春子は小声でそう言った。挙句に「お母さん、息子の成長に泣けてきちゃったわ!」と言いながら、よよよと袖で涙を拭う仕草までしている。
ガールフレンドなどとは一言も言っていないのだけれど勝手に勘違いされてしまっている様だ。海殊としては頭痛を覚えざるを得ない状況だったが、これはむしろ都合が良かった。
「えっと、それで母さん。今、こいつの親が旅行行ってるみたいでさ、ちょっとの間泊めてやって欲しいんだけど──」
「そんなの、良いに決まってるじゃない! 二泊でも三泊でも、好きなだけ泊まってもらって。二階の空いてる部屋使ってもらっていいから」
これまた簡単に承諾されてしまった。
自分から言い出して信じられない海殊である。思わず「えええ……」と困惑の言葉が漏れた程であった。
「あ、琴葉ちゃん。化粧水とか持ってきてる? 持ってきてなかったらあたしの使っていいからね。洗面台に置いてあるから」
食卓に三人で座ると、早速母が琴葉が話し掛けた。
「え、いいんですか? 持ってきてなくて、どうしようかと思っていたんです」
「ええ、もちろん。若いからって肌ケアを怠るのは禁物よ。こういうのは積み重ねなんだから」
「はい、ありがとうございます!」
そして、何故か親しくなっている母と謎の家出少女である。母に至っては、もはや海殊よりも琴葉と親しんでいる様にさえ思えた。
海殊はそんな二人のやり取りを眺めながら、黙々とタコスを食べるしかなかった。自分で切り出しておいて何だが、一番この状況を理解できていないのが彼自身だ。
「あ、そうだ琴葉ちゃん。家事とかできる?」
食事も後半に差し掛かってきた頃、唐突に春子が琴葉に訊いた。
「家事ですか? 人並みにはできると思いますけど……」
「じゃあ、あたしが不在の時は任せていいかしら? 仕事で夜遅くなる時とか夜勤もたまにあって、どうしても溜めがちになっちゃうのよねえ……この子もあんまり手伝ってくれないし。もちろん、できる範囲で構わないから」
母はじとっとした視線を息子に送って言った。
海殊はその視線に気付かないふりをして、トルティーヤを丸めて口の中に放り込んだ。もはや一番会話についていけてない。
隣の琴葉はそんな海殊を見て微笑むと、「はい、任せて下さい」と嫣然として返事をするのだった。
(なんかよくわかんないけど……上手く運んでるなら、いいのかな)
思っていた展開と全く異なったが、とりあえずこっそりと安堵の息を吐く。
(それにしても……何で俺、ここまでこの子の為に必死になってるのかな)
タコスをもぐもぐと美味しそうに食べる琴葉の横顔をちらりと見て、ふとそう思う。
今日の一連の行動はどれをとっても自分らしくなかった。しかし、それでも海殊には彼女を放っておくという選択などなかった様に思うのだ。そこにあったのは、義務感や使命感。まるで運命に導かれる様にして、琴葉に声を掛けていた。公園で雨に濡れて不安そうにしている彼女を、見過ごす事などできなかったのだ。
そして、母と楽しそうに話している琴葉を見て、自分の直感は間違いではなかったと思うのだった。