ぐらぐらと水面に波が立ったかのように揺れて、鏡の中には私と夫、そしてお義母さんが、夫の実家にいる風景が見えた。床の間にある古ぼけた掛け軸や花瓶からして、間違いなく夫の実家の応接間だ。
 私は今着ているこのコーディネートで、二人に対面している。

『私には私なりの子育ての方針があるの。塾も受験もこの先の進路も、本人の意志や適性を大事にしてあげたい。それを尊重できないならば、私は息子と一緒に出て行きます』

 凛とした姿勢、凛とした声で言い放ち、応接間を立ち去る私の姿が見えた。
 慌てて後を追う夫の姿。
 あからさまに狼狽した様子の義母。

――そうだ、これでいい。

 そこで、鏡の映像は現実に戻った。
 試着室にいる私、一人だけが映されている。
 そこに映る私は、背筋が伸びて凛としたレディだった。

――これが本当の私の姿な気がする。

 小さく微笑み、カーテンを開ける。

 待ち構えていたように、女の子は、

「あなたにぴったりのお洋服が見つかったようですね」

と、まるで確信していたかのように問いかけた。

「はい。お会計お願いします」
「かしこまりました。もう、お義母様へのプレゼントは結構ですね?」

 わかりきったことを訊いて申し訳ないのですが、といった口調で女の子は確認する。

「ええ。そもそも、今日買うべきものは、私のための服だったんです。きっと」

 自然と私の頬に上ってきた笑みは、おそらく結婚して初めて浮かぶ、自信に満ちたものだったに違いない。
 それもこれも、このお店と猫が気づかせてくれたことだ。

「この白猫さんのおかげね……って、あら、いなくなっちゃったわ」
「気まぐれな猫なんです」
「最後に猫さんが見られないのは寂しいけど……でも、とても良い買い物ができました。洋服屋さんでこんな思いをするの、初めてな気がするわ」

 不思議なお店に、不思議な白猫。
 初めて偶然訪れたこの場所を、すっかり気に入ってしまった。
 洋服を買った。
 ただそれだけのことのはずなのに、それ以上に胸の内側がじんわりと温かい。

 レジを打ち終えた女の子は、照れたように眉を下げ、柔らかな声でこう告げた。

「お客様がここに来られる目的が服ではないのと同様に、私たちがお売りするのは、服ではなく、福ですから」



 店を出て、車に乗り込む前にパシャリとスマホで店の外観を撮影する。
 山間の小さな町にある小さなブティック。
 誰かに伝えたいし、また自分自身でも覚えておきたかった。

 スマホをバッグに収めて車に乗り、エンジンを掛けようとしたとき、バックミラーに男性が横切るのが見えた。
 白くてさらさらした髪の毛をした、美男子。

 思わず窓から首を出して振り返るが、誰もいない。
 そこには九月のものにしては青すぎる空が広がっているだけだった。

「……気のせいか」

 気を取り直し、エンジンを掛け、私はアクセルを踏む。
 私が私であること、私がここにいることを示すために。


(1着目 完)