「絹子は俺が亡くなってから悲しみのあまりすべての俺の写真を焼いてしまったくらいだ。なんとしてでも見守りたかった。でも今は店は大丈夫だという確信が芽生えた――お前が立派に育ってくれたからな」
「……そんな、わたしはまだまだだよ……!」
「いや、大丈夫だ。自分を信じろ」

 イトの目はまっすぐで、嘘が入り込む隙など一部もないようだった。

 今までおじいちゃんはお店の行く末を案じて、イトとなってこの世に留まっていたというわけなんだ。
 巨大資本が台頭し、個人商店が次々に倒れていく激しい時代の荒波の中を、こんな小さな船が渡航し果せるのか。それが気になってならなかったに違いない。

「……俺はもう本来自分がいるべき場所へ旅立たなきゃいけない」

 第二の死期を悟った祖父の言葉は、あまりにも重すぎた。
 その重みに、わたしはうつむき、床のカーペットを見つめる。

 いるべき場所が意味するところを、言葉にしたくない。
 だけど、そこはこの世に生を受けたものであれば、誰もがいつかはたどり着くべき場所。

 次の瞬間、イトの口から出たのは意外な”お願い”だった。
 
「でも、その前にどうしても着たい服があるんだ」
「服?」

 祖父のことだから、これまで着たい服はなんでも着てこられたはずだ。
 おしゃれな夫婦として知られていた祖父と祖母だ。
 そうであるはずなのに、”どうしても着たい服”とは、どんな服なのだろう。
 単純な興味から、わたしは顔を上げた。

「絹子が――お前のおばあちゃんが作ってくれたベストがあるはずなんだ。俺が死ぬ前に絹子に作ってほしいと頼んだんだ。でもその完成を見る前に俺は死んでしまったもんでな」
「おばあちゃんが作ったベスト……?」

 全く記憶にない話に、わたしは首をかしげた。
 母からそういったエピソードを聞かされた覚えもない。
 だけれど、イトがそういうのなら本当なのだろう。祖母は服を仕入れて売るだけではなく、洋裁も得意だったそうだ。夫のために服を作ったとしても不思議ではない。
 それにしても、胸の詰まる話だ。妻の作ってくれた服の完成を見る前に亡くなってしまったとは。

「あの頃、この店はバブル景気もあって繁盛していた。俺のためにゆっくり服を作る時間もなかっただろう。そんな中、暇を縫って型紙から制作してくれたはずだ。間に合わなかったのも無理はない。俺は入院していたからその様子は知らない……残念だ」
「それもイトの心残りの一つなんだね」
「そう」

 祖母が亡くなって八年になる。もうその作った服のありかもわからない。でも。

「それがイトの最後のお願いなら、探してみせる。絶対に」

 イトは”お客様”ではない。でもわたしがもっとも福を授けたいと思う大切な人の一人だった。
 祖母が夫を想って作ったベストを探し出し、イトの心の中の絡まった糸を解いて、福と結び直すのだ。
 それができるのは、孫のわたししかいない。