イトを慎重に抱き上げて、店の奥の住居スペースに寝かせる。
 抵抗することもなく、ぐったりする様子は、イトの不調を如実に物語っている。

「どうして……つい昨日まで元気だったじゃない……」

 動物病院へ連れて行けば、イトがほんとうの猫ではないことがわかってしまうだろうか。
 でもこのまま何も手を打たなければひょっとして――。

 不吉な想像をして、じわりと汗が額に浮かんだ。
 ダメだ、そんなこと考えちゃ。
 でもつい嫌な方向へ考えてしまう。

 祖父・衣人が亡くなった日、わたしはまだ幼稚園にも行かぬくらいの小さな子供で、状況もよくわからないはずなのだが、ぎゃんぎゃんと泣いていたらしい。

 わたしはもう一度、祖父を亡くすのか――。

 うつむき、両手で顔を覆った。

 記憶におぼろな祖父・衣人の姿は、イトとしてわたしの前に蘇った。そしてわたしに背筋を伸ばして生きる勇気と意思を与えてくれた。
 そんな祖父にわたしは何も返せていない。
 今だってただ見守るだけで何も手を尽くせない。
 力ない自分がふがいない。

 顔を覆う手のひらの中で、つーっと涙が一筋頬を伝った時だった。

「おい、勝手に俺を死なすなよ」

 その声に顔を手のひらから上げる。
 そこには人間化したイトがいた。いつもよりずいぶん顔色が悪いけれど、いつもと変わらない目の色にどこか安心を覚えてしまい、どっと涙がこぼれる。

「ひどいな、心配させないでよ……」

 どういうわけか憎まれ口めいた言葉しか出てこず、反比例して涙ばかりが目からあふれる。

「湿っぽい雰囲気を作るなよ、苦手なんだ」
「二回目の葬式をしなきゃいけないのかと思ったじゃん……」
「強烈な冗談だな」

 涙で視界がぼやけてはいるものの、イトが苦笑するのが伝わってきた。

「だけど、悪いな。俺は長くない」
「――うそ……」

 喜んだのもつかの間、わたしは絶句した。

「お前ももう気づいている通り、お前は俺の孫だよ」

 初めて本人の口から明かされる正体。
 やはりイトはわたしの祖父・福留衣人なのだな、という思いで目と目を合わせるとなんだか気恥ずかしい気がした。

「俺が死してもなおこの姿でこの世に戻ってきたのは、きっと絹子亡き後の店を見守るためだったんだ。俺の心の中にあった結ぼれ心のせいだ。この店が心配で、心の中で糸が絡まり合っていたんだ」
「糸が絡まっていた……この世への未練でつながっていたってこと?」

 イトは深く頷いた。そこには愛する家族への愛しかなかった。
 一見クールに見えるけれど、心の中には深い愛情が海のように広がっている人なのだ。