服は不思議な力を持っている。
 ある運命的な一着が、ある人の人生をがらりと変えることがある。
 それが、わたしの場合はあのネイビーのワンピースだった。

 鏡に映るわたしは、わたしじゃないみたいに凜としていた。自然と背筋が伸びるのだ。
 その服にふさわしい自分でありたいと、初めて思った。

 思わずこぼれた笑顔に、イトは満足げに頷いた。

『服は、不思議だろう? 服にはその人の内なる力を引き出す魔力がある』
『……うん、そうだね』
『服屋はモノを売る商売じゃない。幸せな気持ちを味わう経験そのものを売っている。”服”じゃなくて”福”を売っているんだ。それをお前の祖母はよくわかっている』

 モノではなく経験。
 服ではなく、福。

 その言葉の意味が、すとんと腑に落ちた。

 鏡の中のわたしには自信があふれているようだったから。
 これを着て学校へ行く緊張や不安など一欠片もない。

 実際、翌日の朝、みんなは驚きこそすれ、誰もわたしをバカになんてしなかった。多少陰口ぐらいは叩かれていたのかもしれないが、そんなこと微塵も気にならない。
 わたしはただ、胸を張って、顔を上げていた。それだけのこと。

『そのワンピース、かわいいね』
 廊下ですれ違う、これまで顔は見たことあるけれど言葉は交わしたことのない同級生に声を掛けられる。

『いつもと雰囲気違うね』
 同じクラスだけれど全然関わりのなかった子から褒められる。

 なんだ、とわたしは拍子抜けした。
 学生なんてその程度のものなのだろう。
 自信を持って堂々としている人間にちょっかいを出せるほどの度胸なんてないのだ。

 わたしの目の前に積み上がっていたブロックは、粉々に砕かれていた。





 それ以降、ファッションはわたしの人生においてなくてはならない相棒になった。

 祖母・絹子、母・木綿子に連なり、服に縁のある名前・結衣を与えられた以上は、服に関わり続けようと決めたのだ。


 服に縁のある名前――それは、うちの女系親族だけではなかった。

 福留衣人(きぬひと)。

 わたしのおじいちゃんの名前。

 そうだった――いつしか近所に棲みついた猫の名前「イト」。
 ただの偶然なんかじゃない。

 イト。あなたは人間の頃の名前を読み換えて名乗っていたんだね。





「イト、こんなところにいたんだね……」

 店の路地裏を進んでいった突き当たりの空き地で、イトは草むらに隠れるようにして眠っていた。
 触れると、幸いにしてまだ温かく、心臓の動きが伝わってきた。