虚脱したかのようにずずずっとソファに沈み込んだわたしは、ただ男とイトのやりとりを傍観するだけのことしかできない。
イトは全くひるむことなく、胸ぐらを掴んでいる男の手に自分の手を置いた。
そんなに力が入っているようでもないのに、するっと男の手を外した。
まるで妖術。
人間業じゃない。
目をしばたたかせているのは、わたしだけじゃなく、男も同じだった。
さっきまでの般若のような形相が一挙に崩れた。
「鏡を見ろ」
男があっけにとられているうちに、イトは全身鏡の前に男を押し出した。
もちろんそれも、力いっぱいといった感じではない。
まるで糸で上から操られている操り人形みたいに男はするすると静かに動く。
「よく見ろ。これが、お前の本当の姿だ」
鏡の前に突き出された男はわけもわからず、鏡をのぞき込む。
そこに一体何が映し出されているのか、わたしの角度からは全く覗き込めない。
ちらとでも覗きたいのだが、あいにく体がびくとも動かないのだ。
見えない糸でこのソファに縛られている感覚だ。
「うぁっ……!」
鏡の中を見た男は、みるみるうちに青ざめてゆく。
口をあんぐりと開け、手を震わせ始めた。
ガクリ、と床に膝をつく。
「俺の……俺の……」
彼には自分の何が見えているのだろうか?
次第に汗でびっしょりと全身が覆われ出した。
「ああああああ!」
ガラガラの声で叫びだしたところで、イトが鏡の前から男を引きずり出した。
ぞわぞわっと背中が凍りそうなほど冷たい表情のイト。
普段のクールな雰囲気とは違う――暗い廊下の奥に立っている幽霊か鬼みたいな顔。
その顔のまま、冷たくイトは言い放つ。
「自分の弱さから目をそらし、自分より弱い者を支配し、苦しめる。お前が彼女にしてきたこととは、そういうことだ。だから見せてやってるんだよ。今までお前が目をそらしてきたものたちを」
わたしが言われているわけではないのに、こっちまで全身が震え上がりそうなことば。
あの人が今見ているのは、そういう「業」みたいなものなのか。
人の弱さにつけ込んで他人を苦しめてきたその行いが、鏡となって跳ね返り、自分を苦しめているのだろう。おそらく。
「わかったか? ここはお前がいていい場所じゃない。そして別れた彼女には永久に近づくな」
「わかった、わかりました! すみませんでした!」
ぶんぶんと十数回うなずいた後、砕けた腰で男は慌てて店を出て、車を走らせて行ったのだった。
後に残されたのは奇妙な沈黙。
ふっ、と縛りが解けたように、わたしの体も自由になる。
ソファからすくっと立ち上がると、
「ねえ、あの人、鏡の中に何を見たの?」
イトの顔はいつも通りのそれに戻っていた。
なんでもない、といった風に首を振った。
白い髪も同時にさらさら揺れる。
「ただの自分の本当の姿だ。鏡ってそういうものだろう?」
「それじゃわからないよ、もっと――」
「お、六時になった。化け猫は寝床に帰る時間だ。じゃあな」
「えー、うそぉー、ここで帰るとかある!?」
またしてもごまかしにごまかしを重ねた末に店からすぅっと消えていくイト。
「あ、でも助けてくれてありがとうねー! って、聞こえてないか……」
先にお礼を言うべきだったか。
イトに助けられたのは確かだろう。さすがに男の力には勝てないのだから。
だけどあんな恐ろしいイトは初めて見た。間違いなく、これが初めて。
ひょうひょうとした表情が崩れることはほぼなかった上に、人を操る妖術のようなものを駆使するところだって初めて見たのだ。
「普段のだらけた態度とは打って変わって、かっこよかったなぁ」
何せあの美貌、あのルックスでさらっと威圧的な人間を押さえ込めたのだから。
漫画やドラマだったらちょっとした場面だよ!?
ますますミステリアスな化け猫である。
イトは全くひるむことなく、胸ぐらを掴んでいる男の手に自分の手を置いた。
そんなに力が入っているようでもないのに、するっと男の手を外した。
まるで妖術。
人間業じゃない。
目をしばたたかせているのは、わたしだけじゃなく、男も同じだった。
さっきまでの般若のような形相が一挙に崩れた。
「鏡を見ろ」
男があっけにとられているうちに、イトは全身鏡の前に男を押し出した。
もちろんそれも、力いっぱいといった感じではない。
まるで糸で上から操られている操り人形みたいに男はするすると静かに動く。
「よく見ろ。これが、お前の本当の姿だ」
鏡の前に突き出された男はわけもわからず、鏡をのぞき込む。
そこに一体何が映し出されているのか、わたしの角度からは全く覗き込めない。
ちらとでも覗きたいのだが、あいにく体がびくとも動かないのだ。
見えない糸でこのソファに縛られている感覚だ。
「うぁっ……!」
鏡の中を見た男は、みるみるうちに青ざめてゆく。
口をあんぐりと開け、手を震わせ始めた。
ガクリ、と床に膝をつく。
「俺の……俺の……」
彼には自分の何が見えているのだろうか?
次第に汗でびっしょりと全身が覆われ出した。
「ああああああ!」
ガラガラの声で叫びだしたところで、イトが鏡の前から男を引きずり出した。
ぞわぞわっと背中が凍りそうなほど冷たい表情のイト。
普段のクールな雰囲気とは違う――暗い廊下の奥に立っている幽霊か鬼みたいな顔。
その顔のまま、冷たくイトは言い放つ。
「自分の弱さから目をそらし、自分より弱い者を支配し、苦しめる。お前が彼女にしてきたこととは、そういうことだ。だから見せてやってるんだよ。今までお前が目をそらしてきたものたちを」
わたしが言われているわけではないのに、こっちまで全身が震え上がりそうなことば。
あの人が今見ているのは、そういう「業」みたいなものなのか。
人の弱さにつけ込んで他人を苦しめてきたその行いが、鏡となって跳ね返り、自分を苦しめているのだろう。おそらく。
「わかったか? ここはお前がいていい場所じゃない。そして別れた彼女には永久に近づくな」
「わかった、わかりました! すみませんでした!」
ぶんぶんと十数回うなずいた後、砕けた腰で男は慌てて店を出て、車を走らせて行ったのだった。
後に残されたのは奇妙な沈黙。
ふっ、と縛りが解けたように、わたしの体も自由になる。
ソファからすくっと立ち上がると、
「ねえ、あの人、鏡の中に何を見たの?」
イトの顔はいつも通りのそれに戻っていた。
なんでもない、といった風に首を振った。
白い髪も同時にさらさら揺れる。
「ただの自分の本当の姿だ。鏡ってそういうものだろう?」
「それじゃわからないよ、もっと――」
「お、六時になった。化け猫は寝床に帰る時間だ。じゃあな」
「えー、うそぉー、ここで帰るとかある!?」
またしてもごまかしにごまかしを重ねた末に店からすぅっと消えていくイト。
「あ、でも助けてくれてありがとうねー! って、聞こえてないか……」
先にお礼を言うべきだったか。
イトに助けられたのは確かだろう。さすがに男の力には勝てないのだから。
だけどあんな恐ろしいイトは初めて見た。間違いなく、これが初めて。
ひょうひょうとした表情が崩れることはほぼなかった上に、人を操る妖術のようなものを駆使するところだって初めて見たのだ。
「普段のだらけた態度とは打って変わって、かっこよかったなぁ」
何せあの美貌、あのルックスでさらっと威圧的な人間を押さえ込めたのだから。
漫画やドラマだったらちょっとした場面だよ!?
ますますミステリアスな化け猫である。