ここまでずっと聞き役に徹していた彼女はそこで、彼女の沈黙を破った。

「生まれてくるべきじゃなかった人、なんているんでしょうか」

 飾り立てない言葉でまっすぐ問いかけてくる。
 ほんの呟き程度の声の大きさだったが、そこで彼女はしっかりと私の目を見据えた。
 最初の印象とは違って、意志の強さ、芯の強さを思わせる目をしている。

「あなたは、本当にあなた自身のことを愛せないのでしょうか」

 握られた手が熱かった。
 彼女の手の熱だろうか、私の手の熱だろうか。どちらかわからない。二人の手が一体化しているからか。

 問われた言葉に、言葉が詰まった。胸が震えている。
 だって、私は――
 その先に続く言葉が見つからない。

 どうして良いかわからず、足下を見つめていると、

「みゃー」

 後方から、猫の鳴き声がした。
 振り向くと、先ほど店に一緒に入ってきた白猫が座っている。
 その隣には大きな全身鏡。

「イトが呼んでいます。結ぼれ心を――絡んだ糸を、一緒に解かしましょう」

 彼女は私の手を握ったまま、立ち上がった。つられて私も立ち、鏡の前に導かれる。

「あなたのためのシャツだと思うんです。試してみてください」

 エシカルファッションだというシャツを手渡され、彼女は鏡の周りのカーテンを閉ざす。試着室になっているのだ。
 ほとんど無理矢理のようにして、試着室に連れてこられた私は、何がなんだかわからないまま、シャツを片手に呆然と鏡を見つめる。

 すると池の水面が風にゆれるように、鏡の面がゆらゆらと揺れた。
 鏡の向こう側には、いたく傷ついた顔をしている私がいた。
 今の私、こんな表情をしてるんだ……。

――でもおかしい。鏡の中の私をよく見ると、彼女は手と足が白い糸で雁字搦めになっているではないか!

 手足を縛られたもうひとりの私は、なんだかこっちの私を恨んでいるようだ。
 理解しかねて試着室を出ようとしたとき、鏡の中の私――もうひとりの【私】の口が勝手に開いた。

『さっきの言葉、傷ついたわ』

――しゃべった……!

 と驚いたのも、束の間。
【私】はそんな驚いた様子の私にはお構いなしに胸に糸でぐるぐるになった両手を当てる。もちろん私――鏡のこちら側の私は胸に手を当てたりなんてしていない。

『私は本当は家族に愛されたかった。普通の親のもとに生まれて、普通のお姉ちゃんと普通に暮らして、家族から愛されたかった。
――でも何より、私は私自身に愛されたい……!』

 痛切な魂の叫びだった。
 声がわんわんと頭の中で反響する。胸が、痛い。痛くて痛くて、立っていられない。

『お願い、私を傷つけないで。私を、愛して。自分でかけた呪縛を、この結ぼれ心を解いて。じゃなきゃ、私は一生どこへもいけないから』