この間、SNSでふと見かけた投稿がある。

 特にバズっているわけでも知り合いの投稿でもないのだけれど、ランダムに表示された一枚の写真。
 古びた外観の小さなブティックを撮影した一枚だった。
 赤い屋根が日に焼けて白みがかっている。
 ただ古そうではあるが、ウィンドウには曇りひとつない。
 簡単ではあるが鉢植えの花々が飾られていて、手の行き届いた印象ではある。

 とはいえそれだけの要素で、どうして自分の目を引いたのかはよくわからない。昭和から続く個人経営のブティックなんてどこにだってあるわけだから。

 ただ気になったのは、写真ではなく投稿者が付け加えたコメントの方だった。

 投稿者曰く、
”服だけじゃなく、福をもらえるブティック”
なのだとか。

 そんな占いじみた言葉の羅列には一切関心のない私だった。
 でも人生の一大決心をしたばかりだったからだろうか、つい気になって地図上で検索し、存外自宅からそう時間がかからない場所にあることが判明し、行ってみることにした。

 福を売るとかいう服屋へ。





 本当にこの先に集落なんてあるのだろうかという山道をコンパクトカーで登っていった先に、ちゃんと商店街らしきものが見えてほっと胸をなで下ろす。

 車から降りると、虫の鳴き声や風の心地よさから、ふもとにはない秋の気配がちゃんと感じられた。
 商店街は、ほとんどシャッターが閉められており、うら寂しい雰囲気で、唯一明かりがついているのがくだんのブティックなのだった。
 人通りも少なく、時間が止まっているかのようだ。
 ある意味、私からすれば異世界かもしれない。

 そんな異世界感を強調するかのように、向こうの方で白猫がさきほどからしきりに私のことを見つめ、観察している……かのように見える。

 こんな風に目的の店を定めて来店するなんて、多分人生で初めてだ。
 今まで自分のために何かを買ったこともなければ、買ってもらったこともないのだから。

 私みたいな人間が世界の存在することそのものがそもそも間違いだと、子どもの頃から思い込んできた自分に、新しい服やカバンや靴を買うことが可能だっただろうか? いや、ありえない。

――つい、卑屈になってしまった。