【商売の心得 その一:女性は意味もなく服を買いに来ない】

 今まではただの「お店番」で済んできたけれど、この二週間だけは「お店番」なんて子供じみた名称では呼ばせない。
 今や旅行中の母に代わってわたしは立派な「店主」なのだ。一時的ではあるけれど、店の全てを託されている。
 来月にはわたし・福留結衣は、二十一歳。
 ここまでずっと休みなしで女の腕一本で店を経営してきた母。やっとわたしに祖母の代から続くブティックを託し、「休憩する」覚悟ができたらしい。
 創業者である祖母も、あの世で安堵しているはずだ。やっと娘が一時的ではあれ、自分の時間を持てるのだから。
 ここで一つ、「典型的な三代目で甘えんぼの結衣ちゃん」を卒業して、親孝行して見せようではないか!

「よーし、まずはピカピカに磨き上げてやるんだから!」

 開店直前、午前9時半。
 ほうき、はたき、ぞうきんを手に、掃除嫌いの母に代わって店のあちこちのほこりを取り除き始める。

 開業七十年近くになる、山を開いた小さな町の、さらにはずれにある昔ながらのブティックだ。七十年間で大がかりな改装が行われたのは二度だけ。最後の改装からも二十年が経つ。丁寧に掃除してあげたい。

 九月の朝はまだ夏の名残がそこら中に残っているものだが、この山の町ではふもとよりかは幾分涼しい朝を迎えられる。

 戦後、この地域は療養や保養の人々で栄えたのだとか。町が開かれた当初は商店がずらりと並ぶ光景が見られたそうだ。うちのような洋品店のみならず、食料品店、靴屋、たばこ屋、理容室、飲み屋……。ありとあらゆるものがここで揃ったという。
 けれど令和の現在、そんな過去の面影など微塵もない。
 当時の商店街の面々で、令和の今まで生き残ったのは、うち一軒だけとなってしまった。
 バブル崩壊、リーマンショック、大型商業施設や巨大資本の台頭、そしてコロナショック。
 時代という名の竜巻は個人商店という小屋を根こそぎなぎ倒してゆく。
 皆悲鳴を上げてのれんを畳み、どこか別の土地へと逃げ出してしまった。別のどこかで新たに商売を始めたのか、大企業の一員として生き残る道を選んだのか――それは不明だが。

「福留さんの店が生き残ってるのは、奇跡的なことなのよ」

 商店街を去りゆく人々はそう寂しげに言い残していく。

 今どき通販、ECサイトの類いにも手を付けず、店舗ひと筋。
 問屋から仕入れたものを、この店舗だけで販売する。
 派手にSNSを展開しているわけでも、紙やウェブの広告を撒いているわけでもない。Googleマップで検索すれば出てくるだけだ。
 そんなオールド・スタイルを未だに貫き続けているのだから、奇跡と言われても仕方ないのかもしれない。

 これは奇跡なのだろうか? 他の商店が潰れていく中、うちのブティックだけが生き残ったのは、単なる幸運によるものなのだろうか?

 その答えは、先代から残された【商売の心得】手帳にあるんじゃないかとわたしは思っている。
 ボロボロになった手帳の最初のページをそっと開くと、そこには【その一】と題して、こう書かれている。

――女性は意味もなく服を買いに来ない。

 亡くなった祖母が万年筆で丁寧に書いた文字。

――服を買いに来る女性は、服を買うことそのものが目的なのではない。

 それ以上の説明はない。あっさりとした言葉だが、深い意味が込められている気がする。

 この言葉の中にこそ、うちの店が何十年も生き残ってきた答えが隠されているのではないか?
 それが確かめたくて、わたしは大学生になった今でも下宿生活を選ばず、通学時間2時間の自宅生という道を選んだのかもしれない。