駿介は何も言わない。
萌も、なかなか言葉が出てこなかった。
それでも告白しようと思ったのは、自分の気持ちを大事にしたいと、そう思ったからだ。
「あのね、矢吹くん、私……」
言いかけた言葉を、大きな手によって遮られる。目の前に手をかざされ、思わず言葉を飲み込むと、駿介の頰がじわじわと赤くなっていくのが見えた。
「えっ、ちょっと待って。昨日から雨宮、なんか変。というか、待って、俺の勘違い?」
「矢吹くんが動揺しているの、珍しいね」
「雨宮のせいだから!」
口元を手で隠しながら、駿介がじとりと萌を睨む。でもその頰が赤いせいで、ちっとも怖くない。
駿介に好きな人がいると分かって、寂しかった。あの愛情深い『愛の挨拶』が、たった一人の誰かのために演奏されたのだと思うと胸が苦しかった。そして何より羨ましかった。
でも今は、素直に思う。そんなこと、関係ないよ、と。
駿介に好きな人がいたって。どれだけその人のことを好きだったとしても。萌が駿介を好きだという事実は変わらない。振られてしまったとしても、きっとこの好きになった気持ちは捨てられない。そう思うから。
「待って、マジで待って」
告白をしようと思うのに、駿介がへたり込んで俯いてしまったせいで、なかなか言い出せない。そもそも何を待って欲しいのだろう。まさか告白しようとしていることに気がついたはずもないだろうし。
とにかく駿介が落ち着くのを待とうと、隣にぺたりと座り込み、大丈夫? と顔を覗き込む。赤い頰の彼は、大丈夫じゃない、と呟いてかっこよくセットされた髪をぐしゃりとかき混ぜた。
「あー、めちゃめちゃかっこ悪いじゃん、俺」
「え、どうしたの急に。矢吹くんはいつもかっこいいと思うけど」
「マジでもう雨宮はしばらく黙ってて!」
照れたような表情でぺしんと頭をはたかれて、萌は思わず笑ってしまう。告白しようとしているのに、こんな雰囲気になるなんて、おかしくてたまらない。
「えーっと、雨宮さん?」
急にさん付けで呼ばれ、萌は目を丸くする。久しぶりの呼び方に、なんとなく懐かしい気持ちになりながら、「なあに、矢吹くん?」と笑いかける。
すると駿介は、相変わらず口元を手で隠しながら、上目遣いに萌を見つめ、こう言った。
「もしかして、俺のこと好きなの?」
「……………………」
「あれ、違う? 俺の勘違い?」
うわ、恥ずかしい、待って今のなし、と慌てて言う駿介に、萌は小さな声で答える。
「うん」
「えっ?」
「だから、うん。私、矢吹くんのこと、好きなの」
頰が熱くてたまらない。音楽室は閉め切られているので、風の通り道がない。きっと真っ赤になっているであろう頰を押さえながら、萌は次の言葉を紡ぐ。
「昨日、矢吹くんの演奏を聴いて気づいたの。矢吹くんにあんな風に想われている女の子が羨ましいなって。私矢吹くんのこと、いつのまにか好きになってたんだなぁって」
はにかみながら言葉を並べていくけれど、その声は震えていて情けない。
告白ってこんなに緊張するものなんだ。
じゃあプロポーズはどれだけ緊張したんだろう。陸のことが一瞬頭をよぎったけれど、今はしまっておく。
駿介がほんのわずかに顔を歪める。泣きそうな表情だと思った。
でも本当にそれは一瞬の出来事で、それからすぐにいつものいたずらな笑みを浮かべてこう言った。
「その矢吹くんに大事に大事に想われている人。雨宮萌っていう、今俺の目の前にいる超鈍い女の子なんだけど」
信じてくれる? と首を傾げる駿介の目は、どこまでも優しい。
数秒かけてその意味を理解した萌は、嘘ぉ、と大粒の涙をこぼす。
「本当。こちとら中学一年生の春から好きなんだからな」
「えっ中一の春ってことは一目惚れ?」
「そりゃあ最初からかわいいとは思ってたけど。性格惚れだよ、切島先輩の一件で。あんなの好きになるなって方が無理だろ」
ぐしゃりと髪を撫でられて、ぽろぽろと涙が止まらなくなる。
「じゃあめちゃくちゃ好きなやつって……」
「雨宮さんのことですけど?」
「えええ………………全然気づかなかった」
「周りのやつらは気づいてたけどな」
言われてみれば、後輩たちにはよく駿介との仲をからかわれていた。てっきり二人の仲がいいからお似合いだね、という意味合いだと思っていたが、後輩たちは駿介の気持ちを知っていたらしい。
だから鈍いって言ってるだろ、と髪をまたぐしゃぐしゃにされて、萌はうう、と小さく声をこぼす。
鈍いつもりはなかったけれど、中学一年から高校二年の秋になる今まで、駿介の気持ちに気づかなかったのは、鈍感と言われても仕方がないかもしれない。
ふいに駿介が黙り込む。制服のポケットからハンカチを取り出して、萌の涙を拭いてくれた。そしてさっきまでとは打って変わって静かな声で、萌に問いかける。
「本当に俺でいいの?」
「……矢吹くんがいいんだよ」
「でも俺、雨宮が思ってるより重いよ」
そう言って、駿介がちょこんと首を傾げる。その姿がかわいく思えてしまうのだから、萌は相当彼のことが好きらしい。
「雨宮の夢はアナウンサーになることじゃん? 世界各地飛び回って、スポーツの実況とかしたりして」
「うん」
「雨宮がいいって言ってくれるなら、俺は世界の果てのどこまででも追いかけていくよ? いいの?」
冗談混じりに、でもまっすぐな瞳で彼が問う。答えは一つに決まっていた。
「いいよ。どこまででも追いかけてきて、私も手を離さないから」
ね? と笑って手を差し出す。すると、大きな手がおそるおそる萌の手に重ねられる。そして、壊れものに触れるように優しく手を握るものだから、萌は笑ってぎゅっと握り返した。
「これからもよろしくね、矢吹くん」
「こちらこそ。本当にもう離さないからな、覚悟しとけよ」
いたずらな、それでいて優しい笑みを浮かべる駿介に、萌の心がきゅんと鳴く。
覚悟しておくよ、と笑いながら、私こそ離さないからね、と心の中で呟いて、その大きな手をぎゅっと強く握るのだった。
完
萌も、なかなか言葉が出てこなかった。
それでも告白しようと思ったのは、自分の気持ちを大事にしたいと、そう思ったからだ。
「あのね、矢吹くん、私……」
言いかけた言葉を、大きな手によって遮られる。目の前に手をかざされ、思わず言葉を飲み込むと、駿介の頰がじわじわと赤くなっていくのが見えた。
「えっ、ちょっと待って。昨日から雨宮、なんか変。というか、待って、俺の勘違い?」
「矢吹くんが動揺しているの、珍しいね」
「雨宮のせいだから!」
口元を手で隠しながら、駿介がじとりと萌を睨む。でもその頰が赤いせいで、ちっとも怖くない。
駿介に好きな人がいると分かって、寂しかった。あの愛情深い『愛の挨拶』が、たった一人の誰かのために演奏されたのだと思うと胸が苦しかった。そして何より羨ましかった。
でも今は、素直に思う。そんなこと、関係ないよ、と。
駿介に好きな人がいたって。どれだけその人のことを好きだったとしても。萌が駿介を好きだという事実は変わらない。振られてしまったとしても、きっとこの好きになった気持ちは捨てられない。そう思うから。
「待って、マジで待って」
告白をしようと思うのに、駿介がへたり込んで俯いてしまったせいで、なかなか言い出せない。そもそも何を待って欲しいのだろう。まさか告白しようとしていることに気がついたはずもないだろうし。
とにかく駿介が落ち着くのを待とうと、隣にぺたりと座り込み、大丈夫? と顔を覗き込む。赤い頰の彼は、大丈夫じゃない、と呟いてかっこよくセットされた髪をぐしゃりとかき混ぜた。
「あー、めちゃめちゃかっこ悪いじゃん、俺」
「え、どうしたの急に。矢吹くんはいつもかっこいいと思うけど」
「マジでもう雨宮はしばらく黙ってて!」
照れたような表情でぺしんと頭をはたかれて、萌は思わず笑ってしまう。告白しようとしているのに、こんな雰囲気になるなんて、おかしくてたまらない。
「えーっと、雨宮さん?」
急にさん付けで呼ばれ、萌は目を丸くする。久しぶりの呼び方に、なんとなく懐かしい気持ちになりながら、「なあに、矢吹くん?」と笑いかける。
すると駿介は、相変わらず口元を手で隠しながら、上目遣いに萌を見つめ、こう言った。
「もしかして、俺のこと好きなの?」
「……………………」
「あれ、違う? 俺の勘違い?」
うわ、恥ずかしい、待って今のなし、と慌てて言う駿介に、萌は小さな声で答える。
「うん」
「えっ?」
「だから、うん。私、矢吹くんのこと、好きなの」
頰が熱くてたまらない。音楽室は閉め切られているので、風の通り道がない。きっと真っ赤になっているであろう頰を押さえながら、萌は次の言葉を紡ぐ。
「昨日、矢吹くんの演奏を聴いて気づいたの。矢吹くんにあんな風に想われている女の子が羨ましいなって。私矢吹くんのこと、いつのまにか好きになってたんだなぁって」
はにかみながら言葉を並べていくけれど、その声は震えていて情けない。
告白ってこんなに緊張するものなんだ。
じゃあプロポーズはどれだけ緊張したんだろう。陸のことが一瞬頭をよぎったけれど、今はしまっておく。
駿介がほんのわずかに顔を歪める。泣きそうな表情だと思った。
でも本当にそれは一瞬の出来事で、それからすぐにいつものいたずらな笑みを浮かべてこう言った。
「その矢吹くんに大事に大事に想われている人。雨宮萌っていう、今俺の目の前にいる超鈍い女の子なんだけど」
信じてくれる? と首を傾げる駿介の目は、どこまでも優しい。
数秒かけてその意味を理解した萌は、嘘ぉ、と大粒の涙をこぼす。
「本当。こちとら中学一年生の春から好きなんだからな」
「えっ中一の春ってことは一目惚れ?」
「そりゃあ最初からかわいいとは思ってたけど。性格惚れだよ、切島先輩の一件で。あんなの好きになるなって方が無理だろ」
ぐしゃりと髪を撫でられて、ぽろぽろと涙が止まらなくなる。
「じゃあめちゃくちゃ好きなやつって……」
「雨宮さんのことですけど?」
「えええ………………全然気づかなかった」
「周りのやつらは気づいてたけどな」
言われてみれば、後輩たちにはよく駿介との仲をからかわれていた。てっきり二人の仲がいいからお似合いだね、という意味合いだと思っていたが、後輩たちは駿介の気持ちを知っていたらしい。
だから鈍いって言ってるだろ、と髪をまたぐしゃぐしゃにされて、萌はうう、と小さく声をこぼす。
鈍いつもりはなかったけれど、中学一年から高校二年の秋になる今まで、駿介の気持ちに気づかなかったのは、鈍感と言われても仕方がないかもしれない。
ふいに駿介が黙り込む。制服のポケットからハンカチを取り出して、萌の涙を拭いてくれた。そしてさっきまでとは打って変わって静かな声で、萌に問いかける。
「本当に俺でいいの?」
「……矢吹くんがいいんだよ」
「でも俺、雨宮が思ってるより重いよ」
そう言って、駿介がちょこんと首を傾げる。その姿がかわいく思えてしまうのだから、萌は相当彼のことが好きらしい。
「雨宮の夢はアナウンサーになることじゃん? 世界各地飛び回って、スポーツの実況とかしたりして」
「うん」
「雨宮がいいって言ってくれるなら、俺は世界の果てのどこまででも追いかけていくよ? いいの?」
冗談混じりに、でもまっすぐな瞳で彼が問う。答えは一つに決まっていた。
「いいよ。どこまででも追いかけてきて、私も手を離さないから」
ね? と笑って手を差し出す。すると、大きな手がおそるおそる萌の手に重ねられる。そして、壊れものに触れるように優しく手を握るものだから、萌は笑ってぎゅっと握り返した。
「これからもよろしくね、矢吹くん」
「こちらこそ。本当にもう離さないからな、覚悟しとけよ」
いたずらな、それでいて優しい笑みを浮かべる駿介に、萌の心がきゅんと鳴く。
覚悟しておくよ、と笑いながら、私こそ離さないからね、と心の中で呟いて、その大きな手をぎゅっと強く握るのだった。
完