一日にこんなに何度も緊張する日があるなんて。

 陸の電話を待ちながら、萌は震える手でスマートフォンを握りしめていた。カーテンの隙間から月の光が差し込んできているけれど、閉める余裕も今はない。
 部屋の電気は点けていなかった。なんとなく、明るいところで話せるような内容ではないと思ったから。

 きっと自分は泣いてしまう。陸のプロポーズを断ったら、もしかしたらもう二度と陸は口をきいてくれないかもしれない。疎遠になって、他人のようになってしまうかも。大切な幼馴染を失うことになる。
 そうだとしても自分の気持ちに嘘はつけない。気づいてしまった恋心を隠して、陸と結婚することなんて許されるはずがない。何よりそんなこと、自分が許せるはずがなかった。
 萌の視界がじわりと滲む。泣くのはまだ早い。パーカーの袖で涙を拭いて、一つ深呼吸。見計らったかのように、スマートフォンが震え始めた。
 速水陸、着信。その文字を見るのは最後になるかもしれない。そう思ったらまた泣きそうになってしまう。
 電話に応じて、もしもし? と呼びかけると、陸が少しの間の後、『もしかしてダメだったの?』と訊いてきた。

「えっ、なにが?」
『矢吹? だっけ? 今日、大会だったんでしょ』
「あ、ううん! 矢吹くんは金賞だったよ! すごかったんだから」
『じゃあなんで萌は泣いてたの?』

 何かあった? と言われ、息を飲む。

 どうして。顔を合わせてもいないのに、萌のわずかな変化に気づくのだろう。
 なんで、そんなに優しくしてくれるんだろう。

 そんなの答えは一つしかない。陸が、萌のことを好きだからだ。好きだと思ってくれているから、些細な変化にも気づいてくれるし、優しくしてくれる。
 その気持ちがとても嬉しくて、でも今は何より苦しかった。

「陸ちゃん、私……陸ちゃんに大事な話をしなきゃいけないの」

 本当は顔を見て、直接会って話したかった。それくらい大事な話なのだ。
 今なら分かる。プロポーズのとき、陸が電話では言いたくない話と言っていた意味が。
 萌の深刻な空気に気づいたのだろう。陸がちょっと待ってて、と言って電話口から離れる。そして息を切らして戻ってきた。

『萌、もうちょっと起きていられる?』
「え、うん? どうしたの」
『今から急いで帰るから。起きて待ってて』

 えっ、と戸惑う萌を気にする間も無く、陸は電話を切る。こんな電話の切り方をする陸は珍しい。相当急いでいたのだろう。ツーツーとやけに響く電子音を聴きながら、萌は月明かりの差し込む窓の外を思わず眺めた。