高校二年、秋。
 夏の吹奏楽コンクールも終わり、三年生が引退した新しい部の雰囲気にも少し慣れてきた頃、顧問の教師からソロコンテストの話が持ちかけられた。
 出場したいやつはいるか、という問いかけに、示し合わせたかのように全員が黙り込む。吹奏楽はあくまで団体競技。ソロコンテストのような個人技になると、また別種の技術が求められる。
 昨年も確か同じような流れで、木管楽器から二人ほど先輩が名指しされ、オーディションをやったはずだ。どちらの先輩もソロで演奏しても文句なしの技量があり、接戦の末、クラリネットの先輩が出場することになったのだ。

 そんなことを考えていると、顧問が大きなため息をこぼす。びくりと思わず肩が震えたのは、機嫌が悪いことを察してしまったせいである。顧問の塚内は元々トロンボーン経験者であり、奏者としても指揮者としても腕は確かである。
 ただ、怒るととてもこわいのだ。合奏でトランペットパートが止められるたびに、怒鳴られるのではないか、と萌はいつもヒヤヒヤしている。
 塚内は指揮台の上で持っていた資料をぱらぱらとめくり、それからこちらを向いた。
 嫌な予感が背中を駆け上がるが、逃げ場などどこにもなかった。

「じゃあ今年もオーディションをやるぞ。トランペットパート、矢吹駿介」
「はい」
「同じくトランペット、雨宮萌」
「は、はい」

 立候補者がいなかったときから、なんとなくそんな気はしていた。しかし、オーディションの相手が駿介だとは想像していなかった。
 中学校で吹奏楽部に入部し、初心者としてトランペットを始めたときは、他の楽器の方がいいんじゃないかと本気で心配していたくらいなのに。気がつけば、萌とともにソロコンテストのオーディションを受ける資格を得るほどに、上手くなっている。
 トランペットを始めたのは萌の方がずっと先なのに、目を見張るほどの成長を遂げている駿介に、焦りを感じることもある。

「曲は二人とも『愛の挨拶』な。後で譜面を取りに来い。十日後の部活後に全員の前で発表してもらうから練習しておくように」

 はい、と駿介と萌の声が重なる。顧問が音楽室を出ていくのとほぼ同時に、一年生達が歓喜の声を上げた。

「ソロコンの候補者が二人ともトランペットパートから出るなんてすごい! なんだか私まで誇らしいですよ!」
「えええ……ありがとう……? 期待に応えられるように頑張らないと」

 自信のなさが声に滲み出る。それでもかわいい後輩達が応援してくれているなら、頑張らないと。そんな気持ちで微笑むが、隣に座る駿介の顔が険しいことに気がついた。

「矢吹くん……?」

 萌の呼びかけに、駿介はハッと我に返ったように笑みを浮かべる。

「ん? どうした?」
「あ、ううん。なんていうか……難しい表情してたから、大丈夫かなって」

 萌が覗き込むと、駿介は手をひらひらと横に振り、大丈夫と繰り返した。

「俺のことより、雨宮は自分の心配しないと」

 駿介の言葉の意味が分からず、萌は首を傾げる。するとどこか自信に満ちた表情で、駿介が言葉を続ける。

「今まではオーディションとかで雨宮に勝てた試しがないけど、今回は俺が勝つよ」
「…………っ! わ、私だって負けないよ!」

 萌はオーディションに勝つ自信なんてないが、負けず嫌いだ。だからこそ少し強い言葉で虚勢を張ってみせる。たとえ相手が人一倍努力家な駿介だったとしても、負けていい理由にはならない。

「そうこなくっちゃ」

 楽しそうに笑う駿介とは対照的に、萌は手に汗を握りながら、「絶対勝つもん」と自分に言い聞かせるように呟くのだった。