お昼の放送の時間はあっという間に過ぎていった。給食の時間終了の五分前に片付けて、二人で放送室を出る。放送室は三階にあるので、一年の教室がある一階まで階段を降りなければならないのだ。とんとん、と萌が先に階段を降り出して、駿介に話したいことを思い出して振り向いた、そのときだった。
階段の一番上でまだ足を止めている駿介。その後ろに、見覚えのある背の高い男の人の姿があった。ふいにその人と目が合った。瞬間、駿介の目が見開かれて、ぐらりとその身体が傾く。
「矢吹くん!?」
気がついたら手に持っていたプラスチックの食器は投げていた。スローモーションに落ちてくる駿介の身体をどうにか自分の身体で受け止めて、階段から転がり落ちる。
階段の踊り場に頭をぶつけ、それから遅れて全身に痛みが襲う。ずきずきと痛む身体を無理矢理起こして、駿介に声をかけた。
「矢吹くん! 矢吹くん、大丈夫!? 怪我してない!?」
「いっ……てぇ…………」
首をさすりながら起き上がった駿介は、身体のいろんなところを動かして、俺は大丈夫そう、と答えた。それから萌の顔を覗き込み、言葉を失った。
「え、矢吹くん? どうしたの?」
固まっている駿介の目の前に手をかざして、ひらひらと振ってみる。ずきん、と手首に痛みが走り、慌てて手を止めた。
「血、出てる」
「えっ、嘘、どこ?」
「頭」
「あたま!?」
駿介がポケットからハンカチを取り出す。ちゃんとハンカチを持っているのがなんだか意外だな、と場にそぐわないことを考えていると、駿介がハンカチを萌の左のこめかみあたりに押し付けた。
「いたっ」
「我慢して。そのまま抑えられる? 保健室まで連れていくから」
矢吹くんのハンカチが汚れちゃうよ、と萌が声を上げるのと、駿介が萌を抱え上げるのはほとんど同時だった。
突然浮いた身体と、密着する体温。頭が混乱して何が何だか分からない。ただ一つ分かるのは、駿介にお姫様抱っこをされた、という事実だけだ。
「わあああああ! なにしてんの!? なにしてるの!?」
「早く保健室連れて行かなきゃいけないんだからしょうがないだろ。つーか声、うるさい。怪我人なんだから静かにしてろよ」
「いや、何でそんなに冷静なの!? お姫様抱っこだよ!?」
顔が熱くて堪らない。抑えているこめかみのあたりがどくどくと鼓動して、痛みが増した気がする。
駿介の顔を見上げているのは恥ずかしい。だからといって下を見るのはこわい。折衷案として駿介の身体の方に顔を埋めてみるが、これはこれで恥ずかしい。
こんなに狼狽えているのは萌だけなのだろうか。おそるおそる駿介の顔を盗み見ると、真剣な表情を浮かべていた。
重いであろう萌を軽々と抱き上げたまま、階段を駆け降りていく駿介の姿に、胸の奥がきゅんと鳴いた。
「先生! 怪我人!」
一階にある保健室に辿り着くと、駿介は足で扉を器用に開けてみせた。そして中にいる保健医が驚いた顔を浮かべるのにも構わず、萌を保健室のソファーに座らせた。
「…………あ、ありがと…………」
恥ずかしくて頰は真っ赤に染まっている。それでも保健室まで最速で運んでくれたことは確かなのだ。お礼を口にした萌に、駿介は眉を寄せて嫌そうな顔を浮かべる。
「お礼を言うべきなのは雨宮さんじゃなくて俺だろ。ごめん、巻き込んで。それからありがとう、庇ってくれて」
申し訳なさそうな表情で駿介が言葉を紡ぐものだから、萌まで苦しくなる。そんな表情をしてほしかったわけではないのだ。
「いいんだよ、矢吹くんが怪我してないならよかった!」
レギュラーを決める試合を控えた駿介が、怪我をしなくてよかった。
階段から落ちてくる駿介を助けるために身体が動いたのは無意識だった。けれど、駿介が無事でよかったと心から思う。
萌の笑顔を見て、駿介が一瞬泣きそうな顔を浮かべる。それに驚いて慌てていると、「いいから早く先生に診てもらえよ」と駿介はそっぽ向いてしまった。
駿介に借りたハンカチは、案の定血で汚れていた。それでも思ったより出血量が少なかったのは、不幸中の幸いだろうか。
「これならガーゼで止血出来そうだね。でも頭を打ったなら、念のため病院に連れて行ってもらってね」
「あ、はい。あと先生、手首が痛いんですけど……」
「手首?」
こめかみのあたりをガーゼとテープで止血してもらった後、ずきずきと痛む左手首を前に出す。先生が目を丸くするのが分かった。
「右手も出して」
言われるがままに両手を身体の前に出すと、まるで手錠をかけられるのを待つ犯罪者になった気分だ。苦笑しながら両手を見比べれば、ほっそりとした右手首に比べ、左手首が明らかに腫れ上がっている。
「うーん、捻挫かな」
「湿布貼っておけば治ります?」
「骨に異常があるかもしれないから、お医者さんに診てもらった方がいいよ」
今日は早退しな、と保健医に言われ、萌は首を横に振る。
「お母さん、たぶん今の時間は仕事でいないんです。帰ってもどうせ病院には行けないから、授業受けていきます」
「いや、帰れよ。頭打ってるし、手首だってすげぇ腫れてるじゃん」
「大丈夫だよ、見た目ほど痛くないし」
内出血して腫れた左手首は、確かに痛々しい。ずきずきと痛むけれど、頭痛や生理痛のときのために鎮痛剤を持ち歩いている。それを飲めばやり過ごすことが出来るだろう。
ずっと落ち込んだ色をにじませている駿介を励ますために、笑顔で大丈夫だよと繰り返す。保健医が萌の担任に報告するために席を立ったため、保健室には二人きりになってしまった。
階段の一番上でまだ足を止めている駿介。その後ろに、見覚えのある背の高い男の人の姿があった。ふいにその人と目が合った。瞬間、駿介の目が見開かれて、ぐらりとその身体が傾く。
「矢吹くん!?」
気がついたら手に持っていたプラスチックの食器は投げていた。スローモーションに落ちてくる駿介の身体をどうにか自分の身体で受け止めて、階段から転がり落ちる。
階段の踊り場に頭をぶつけ、それから遅れて全身に痛みが襲う。ずきずきと痛む身体を無理矢理起こして、駿介に声をかけた。
「矢吹くん! 矢吹くん、大丈夫!? 怪我してない!?」
「いっ……てぇ…………」
首をさすりながら起き上がった駿介は、身体のいろんなところを動かして、俺は大丈夫そう、と答えた。それから萌の顔を覗き込み、言葉を失った。
「え、矢吹くん? どうしたの?」
固まっている駿介の目の前に手をかざして、ひらひらと振ってみる。ずきん、と手首に痛みが走り、慌てて手を止めた。
「血、出てる」
「えっ、嘘、どこ?」
「頭」
「あたま!?」
駿介がポケットからハンカチを取り出す。ちゃんとハンカチを持っているのがなんだか意外だな、と場にそぐわないことを考えていると、駿介がハンカチを萌の左のこめかみあたりに押し付けた。
「いたっ」
「我慢して。そのまま抑えられる? 保健室まで連れていくから」
矢吹くんのハンカチが汚れちゃうよ、と萌が声を上げるのと、駿介が萌を抱え上げるのはほとんど同時だった。
突然浮いた身体と、密着する体温。頭が混乱して何が何だか分からない。ただ一つ分かるのは、駿介にお姫様抱っこをされた、という事実だけだ。
「わあああああ! なにしてんの!? なにしてるの!?」
「早く保健室連れて行かなきゃいけないんだからしょうがないだろ。つーか声、うるさい。怪我人なんだから静かにしてろよ」
「いや、何でそんなに冷静なの!? お姫様抱っこだよ!?」
顔が熱くて堪らない。抑えているこめかみのあたりがどくどくと鼓動して、痛みが増した気がする。
駿介の顔を見上げているのは恥ずかしい。だからといって下を見るのはこわい。折衷案として駿介の身体の方に顔を埋めてみるが、これはこれで恥ずかしい。
こんなに狼狽えているのは萌だけなのだろうか。おそるおそる駿介の顔を盗み見ると、真剣な表情を浮かべていた。
重いであろう萌を軽々と抱き上げたまま、階段を駆け降りていく駿介の姿に、胸の奥がきゅんと鳴いた。
「先生! 怪我人!」
一階にある保健室に辿り着くと、駿介は足で扉を器用に開けてみせた。そして中にいる保健医が驚いた顔を浮かべるのにも構わず、萌を保健室のソファーに座らせた。
「…………あ、ありがと…………」
恥ずかしくて頰は真っ赤に染まっている。それでも保健室まで最速で運んでくれたことは確かなのだ。お礼を口にした萌に、駿介は眉を寄せて嫌そうな顔を浮かべる。
「お礼を言うべきなのは雨宮さんじゃなくて俺だろ。ごめん、巻き込んで。それからありがとう、庇ってくれて」
申し訳なさそうな表情で駿介が言葉を紡ぐものだから、萌まで苦しくなる。そんな表情をしてほしかったわけではないのだ。
「いいんだよ、矢吹くんが怪我してないならよかった!」
レギュラーを決める試合を控えた駿介が、怪我をしなくてよかった。
階段から落ちてくる駿介を助けるために身体が動いたのは無意識だった。けれど、駿介が無事でよかったと心から思う。
萌の笑顔を見て、駿介が一瞬泣きそうな顔を浮かべる。それに驚いて慌てていると、「いいから早く先生に診てもらえよ」と駿介はそっぽ向いてしまった。
駿介に借りたハンカチは、案の定血で汚れていた。それでも思ったより出血量が少なかったのは、不幸中の幸いだろうか。
「これならガーゼで止血出来そうだね。でも頭を打ったなら、念のため病院に連れて行ってもらってね」
「あ、はい。あと先生、手首が痛いんですけど……」
「手首?」
こめかみのあたりをガーゼとテープで止血してもらった後、ずきずきと痛む左手首を前に出す。先生が目を丸くするのが分かった。
「右手も出して」
言われるがままに両手を身体の前に出すと、まるで手錠をかけられるのを待つ犯罪者になった気分だ。苦笑しながら両手を見比べれば、ほっそりとした右手首に比べ、左手首が明らかに腫れ上がっている。
「うーん、捻挫かな」
「湿布貼っておけば治ります?」
「骨に異常があるかもしれないから、お医者さんに診てもらった方がいいよ」
今日は早退しな、と保健医に言われ、萌は首を横に振る。
「お母さん、たぶん今の時間は仕事でいないんです。帰ってもどうせ病院には行けないから、授業受けていきます」
「いや、帰れよ。頭打ってるし、手首だってすげぇ腫れてるじゃん」
「大丈夫だよ、見た目ほど痛くないし」
内出血して腫れた左手首は、確かに痛々しい。ずきずきと痛むけれど、頭痛や生理痛のときのために鎮痛剤を持ち歩いている。それを飲めばやり過ごすことが出来るだろう。
ずっと落ち込んだ色をにじませている駿介を励ますために、笑顔で大丈夫だよと繰り返す。保健医が萌の担任に報告するために席を立ったため、保健室には二人きりになってしまった。