バスケットボール部の見学に行くことになったのは、翌日の放課後のことだ。二組にまでわざわざ駿介が迎えに来て、ほら行くぞ、と半ば強引に体育館へ連れていかれる。その間の女子の視線の刺さり具合が、見事に駿介の人気を表しているようだった。

「痛い痛い! 矢吹くん痛いから!」
「そんなに強く引っ張ってねぇよ」
「違うよ! 女子の視線が痛いの!」

 萌の言葉に、駿介が笑みをこぼす。せめて手だけでも離してもらおうとぶんぶん振ってみるが、駿介の手は振り解けない。バスケをやっている人は握力も強いのだろうか。萌がため息を吐くと、何だよと駿介は首を傾げる。

「そんなに引っ張らなくても着いて行くから、手は離してくれない?」
「なに、見られたら困る相手でもいるの」

 彼氏とか好きな人とか、と続けられた言葉に、萌は眉を下げる。
 そういう意味で言うならば、駿介に手を引かれているところを見られても、困る相手はいない。でも駿介のことを好きな女子から反感を買うのはこわい。何と説明するべきか、と迷っていると、いないならいいじゃん。と駿介はまた萌の手を引いて走り出した。

 体育館にたどり着く頃には息が上がっていて、萌はすっかり疲れていた。ちなみに疲れの原因は八割方、駿介と一緒にいることによって集まる女子の視線である。いわゆる気疲れだ。
 駿介が案内してくれたのはバスケットコートを見渡せる体育館の二階だった。萌の他にも見学をしている人が何人かいて、これなら目立たないな、と少しだけホッとする。

 体育館に着くまでに聞いた話によると、今は部内で紅白戦をしている最中で、来週の金曜日までに部員全員が三回ずつ試合に出場し、その成績次第でレギュラーが決まるらしい。駿介が出るのは三戦目らしく、アップが終わった後は萌のところに来て試合の解説をしてくれた。
 バスケットは想像していた以上に複雑なスポーツで、駿介が説明してくれなかったら、きっと見ていてもよく分からなかっただろう。

「何で今のは三点なの?」
「スリーポイントのラインがあるんだよ。そのラインの外側からシュートを打って、入ったから三点」
「へぇ……。あのつり目の人、すごく上手だね」

 スリーポイントラインというのはゴールから離れたところにある。その外側から綺麗なフォームでボールを投げ、リングに当たることなくすとんとゴールに入った。
 黒髪でつり目の男の人は、シューティングガードというポジションらしい。シュートを攻撃の軸にして戦うポジションだ。

「俺もシューターだからさ、一番のライバルは切島先輩なわけ」
「ふーん。先輩って、三年生?」
「そう。バスケではわざとファウルを取ってフリースローをもらうみたいな戦略もあるんだけど、切島先輩はそういうことしないんだよ。相手にどんなにぶつかられても、怒ったりせずにプレイで黙らせる感じ」

 それがフェアでかっこいいんだよなぁ、と駿介が呟く。萌は話を聞きながら、切島を目で追う。
 バスケ初心者の萌にも分かる。切島は別格で上手い人だ、と。まだ全員のプレイを見たわけではないけれど、きっとこのチームのエースは切島なのだろうと思った。

「矢吹くんはあの人のこと尊敬してるんだね」
「まあな。でも、負けるつもりはねぇよ」

 駿介の不敵な笑みと共に、試合終了の笛が鳴る。勝ったのは切島のいるチームだった。

「雨宮さん、俺は次の試合で審判だから一旦降りるけど、よかったら三試合目まで見ていってよ」
「うん。せっかく来たんだし、矢吹くんの試合まで見ていくよ」
「絶対勝つからさ」

 そう言い残して、駿介は一階のコートに降りて行った。ほどなくして試合が始まるが、駿介の解説がないとやはりまだルールは分からない。本で勉強したことはあるが、実戦を見たほうがよほど勉強になる。これが百聞は一見にしかずか、と萌が一人で感心していると、隣から鈴の音のような声が聞こえてきた。

「あの……萌ちゃん、だよね?」
「えっ?」
「二組の、雨宮萌ちゃん」

 萌より少しだけ小さな背の女の子が、こちらを見つめている。丸くて大きな瞳に、艶やかな赤い唇。お人形のように整った顔立ちをした少女が、やわらかな笑みを浮かべて首を傾げた。

「あれ? 違った?」

 制服の赤いリボンが、彼女が一年生であることを示している。同じ学年で萌の知らない女の子、つまり中央小学校出身の子なのだろう。

「えっと……ごめんなさい、もしかして同じクラス?」

 まだクラス全員の顔と名前を覚えられていない萌は、眉を下げて問いかける。一応訊ねてはみたが、おそらく違うクラスの子だと、萌は確信していた。
 こんな美少女が同じ教室にいたならば、話したことがなかったとしてもさすがに覚えているはずだからだ。女の子はふわりとやわらかく笑い、「私は三組なの」と答えた。
 隣のクラスの女の子だった。でもそれならば、どうして萌の名前を知っているのだろう。こてんと首を傾げてみるが、もちろん答えが出るはずもない。

「私、白星美羽です」

 しらほしみう。名前の響きまでかわいい。名は体を表すとはこのことか、と萌が感心していると、美羽は上目遣いで萌のことを覗き込んだ。

「萌ちゃん、有名なんだよ」

 すっごくかわいいって、と付け足された言葉に、萌は頰が熱くなるのを感じた。どう考えても萌より目の前に立つ美羽の方がかわいい。何とも言えぬ恥ずかしさが押し寄せて、頰を手で押さえると、美羽がちょこんと萌の隣に立った。

「試合、一緒に見てもいいかな?」
「あっ、うん、もちろん! ……でも私、ルールとかあんまり分からなくて」
「私なんとなく分かるよ。教えてあげるね」

 とびっきりの笑顔を向けられて、同性なのにきゅんとしてしまう。かわいい、この子は絶対男子にモテるだろう。
 美羽と並び立ちながら、二回戦を観戦する。説明はたどたどしかったが、美羽は意外にもバスケに詳しいようで、丁寧に教えてくれた。
 解説なしで試合を見ても、初心者の萌にはきっと分からなかっただろう。どうして美羽が萌に声をかけてくれたのかは分からないが、萌としては非常にありがたかった。

「あ、三試合目、駿くんが出るみたい」

 駿くんという言葉にとっさに反応出来なかったのは、自分をここに連れてきた男の名前が駿介だということを忘れていたからだ。
 数秒遅れで「あっ、矢吹くんのことか」と萌が呟くと、美羽がくすくすと小さく笑う。

「なんか不思議。中央小の子で、駿くんのことを苗字で呼ぶ人っていないから」

 そういうものだろうか、と考えてみて、納得する。確かに萌も、同じ小学校だった子のことは苗字ではなく名前で呼んでいるからだ。

「試合始まるみたいだよ」

 美羽が一階を指差すのと同時に、ホイッスルが鳴り響く。駿介のチームで一番背の高い人がボールを弾き、ポイントガードと思われる人にボールが渡る。相手チームのディフェンスを巧みにかわしながら、ゴール近くまでボールを運び、少し後ろにいた駿介にパスをする。
 駿介のシュートはゴールへ吸い込まれるように入っていった。レギュラーを取ると宣言していただけあって、どうやら実力はあるらしい。
 その後も駿介のシュートが外れることはなかった。ディフェンスに阻まれて、危なっかしいシュートもあったが、ボールは全てリングに吸い込まれていったのだ。

「矢吹くんって上手いんだねぇ」

 萌がしみじみと言うと、隣にいた美羽が嬉しそうに目を輝かせる。

「そうなの! 駿くんは運動神経が抜群でね、バスケも上手だけど、サッカーもすごく上手いんだよ!」

 自分のことのように嬉しそうに語る美羽は、きっと駿介のことが好きなのだろう。
 こんなにかわいい子に好かれているなんてちょっと羨ましいな、と萌は心の中で呟く。
 三試合目終了の合図が鳴った。十五点の差をつけて、駿介のチームが勝利した。ぱちぱちと拍手をしながら、美羽が「駿くんすごい!」と声を上げる。駿介もその声に気づいたようで、二階にいる萌達に向かってガッツポーズをしてみせる。

「じゃあ矢吹くんの試合も見終わったし、私は部活に行こうかな」
「えっ? 萌ちゃん行っちゃうの?」

 眉を下げて寂しそうな顔をする美羽に、萌は笑いかける。

「うん。今日はありがとう、解説してもらえて助かったよ」
「ううん、特別なことは何もしてないよ。……あの、萌ちゃん。また、話しかけてもいいかなぁ?」

 不安気な表情で上目遣いに問いかけてくる美羽は、やっぱりかわいかった。こんな風にかわいく頼まれたら、どんな頼みごとでも聞いてしまうだろうな、とバカなことを考えながら萌は頷く。

「もちろんだよ。またね、美羽ちゃん」

 小さく手を振ると、美羽がやわらかな笑顔と共に手を振り返してくれた。萌は入部したばかりの吹奏楽部に向かうべく、体育館を後にした。