「陸ちゃん、おばさん、こんにちは!」
「あら、萌ちゃんこんにちは」

 お隣に引っ越してきた速水家は、物静かな家庭だった。母と子一人で生活しているようで、父親の姿は見当たらない。
 引っ越し初日に挨拶に来てくれたときに、萌と同い年の子がいると聞いて、萌は翌日早速会いに行った。
 名前は速水陸。玄関のドアが開いたときにちらっと姿が見えたが、すぐに隠れてしまった。人見知りをしたことのない萌には分からないことだが、どうやら初めて会う人と話すのが苦手な子もいるらしい。陸くんはきっと人見知りなんだね、と母が言っているのを聞いて、萌はふぅん、と呟いた。
 それから一週間ほど経ったが、陸は相変わらず萌の前に顔を出してはくれない。

「ごめんね、萌ちゃん。せっかく来てくれたのに、陸ったら恥ずかしいみたいで」

 玄関の中をひょこ、と覗くと、奥の扉から少しだけ見えていた茶色の髪が、ぴょこんと姿を消す。萌のことを気にしてはいるようだが、なかなか出て来てくれない。

「陸ちゃんー、あそぼうよー!」

 萌がめげずに声をかけると、おそるおそる、小さな男の子が顔を出した。女の子と見間違うほど可愛らしく整った顔立ち。萌より低い背丈。母親似の色素の薄い髪の毛。思わず見惚れていると、陸が小さな声で萌に問いかけた。

「……なんでぼくのところにまいにち来るの?」
「えっ? だって萌、陸ちゃんとともだちになりたいもん!」

 素直な気持ちを言葉にすると、陸はほっぺたを赤くして、ともだち? と繰り返した。

「うん! おともだち!」

 いっしょにあそぼうよ、と萌が笑うと、陸がおずおずと近寄って来た。ね? と差し伸べた手に陸の小さな手が重なる。ぎゅっとその手を握り、萌は嬉しくて微笑む。

「ともだちってどういうことするの?」
「前のようちえんに、おともだちいなかったの?」
「うん」

 陸が頷く。萌は幼稚園に入ってすぐに友達ができたけれど、同じクラスにも陸のようになかなか打ち解けてくれない子もいる。
 人と話すのが苦手な子もいるのだろう。幼いながらに、萌にもそのことは分かった。萌がまだ字を書けないのと一緒だ。

「ともだちとはねぇ、いっしょにあそぶんだよ」

 かくれんぼに鬼ごっこ、砂遊びやボール遊び、お絵描きだって一緒にしたりする。拙い言葉でいろんな遊び方を説明するが、陸の心にはあまり響かなかったようだ。興味のなさそうな陸に、萌はとっておきの言葉を使う。

「それからねぇ、ひみつきち!」
「ひみつきち?」

 瞬間、陸の目がきらきらと輝いた。子ども心をくすぐるそのワードに、陸が前のめりになる。

「てっちゃんたちがつくったっていってたよ! 萌はおんなのこだからいれてもらえなかったんだけど、陸ちゃんはおとこのこだからいれてもらえるかも!」

 てっちゃんというのは幼稚園の同じクラスの友達だ。いわゆるガキ大将で、身体も大きければ気も強いので、いつもみんなの中心にいる。
 萌も仲良くしていたが、この秘密基地には女は入れないんだ、と言い張るものだからムッとした。しかし友達はてっちゃんだけではないのでまあいいか、と今は納得している。

「…………ぼくはそのてっちゃんって子、しらないもん」
「んー……じゃあ、萌といっしょにつくろうよ、ひみつきち!」

 萌の言葉に、陸がぱっと表情を明るくする。陸がぱたぱたと家の中を駆け回って戻ってくると、背中には小さなリュックが背負われていた。

「おかあさん、萌ちゃんとあそんでくる!」
「えっ、二人で? お母さんも一緒に行くわよ、危ないもの」
「だめー! ひみつきちなの!」

 陸の言葉に、萌は思わず笑みをこぼす。まだ秘密基地は出来ていないのに、もう出来上がったかのような張り切り具合だ。
 陸と萌は二人で手を繋いで歩き出した。後ろから心配した陸の母が着いてきていることに気づくこともなく、秘密基地となる場所を二人で探すのだった。