恋愛小説というものを、初めて読んだ。けれどもその中でも内容は偏っていて、どれも悲恋を描いたものだった。

ほらね、と思えるから。ほらね、私だけじゃない。失恋なんて、大好きな人に会えなくなるなんて、どこにでもある話。

 こんなに悲しんでやる必要もない、とも思った。どうせこれは私だけの話じゃない。敬人は私のすべてだった。けれども、そういうものを失うのは私だけじゃない。

だったら、悲しみなんて、寂しさなんて、持っていても楽しくないものなんて、大切にしてやることない。

 そんな醜い嘘は、すぐに溶けて消えた。燦々と街を照らす太陽に、ざあざあと街を叩く雨に、すべて吸い込んでしまうような厚い雲に。

 どこまでも、私は敬人でできていた。敬人がいるから生きていた。敬人がいるから、私は私としてこの世界に生きていた。尊藤敬人が大好き——それが峰野拓実という女の自我同一性だった。

格好をつけてみれば、それが私のアイデンティティだった。敬人が、私の空っぽを埋めてくれていた。それに重さを与え、熱を、形を、心を、声を、与えてくれた。

 夜は好きではない。敬人を思い出す。夜に敬人と一緒にいたことはないけれど、昼よりも夜が好きといっていた彼を思い出す。

敬人の好きな夜はどんな夜だろうと考えてしまう。今日の夜は、敬人にとって心地いい夜かな、なんて。考えてしまう。

 怖いなら、見なければいい。

 明るい昼に、私が敬人にいった言葉。怖いなら見なければいい。その通りだ。見るから怖いのだ。見なければ怖くない。知らなければそれはないものと大差ない。

綺麗な花も、恐ろしいおばけも、知らなければ存在しないのだ。存在を知ってしまったのなら、意識を逸らせばいい。

その通りだ。けれど、よくもあんなに簡単にいったものだと思う。見なければいい、意識を逸らせばいい。——今私は、敬人に会えないのが寂しい。その事実から、意識を逸らす。どこに逸らす? 会いたいときに会えないなんてことが、今までに一度もなかった。

怖いなら見なければいいなんていった私はきっと、会いたいなら会えばいいなんてどうしようもないことをいうのだろう。それができれば、苦労しない。